生きるに意味などない126

存在する身体としての「私の」身体「があり」、私は私がそれである身体なのである。霜山 何故、そんな当然なことを、確認するかのように、書くのか・・・それが、専門家だからか・・・ いや、次に続けるべくの言葉、なのである。 私の「生きられた」身体は他者の「まなざし」によって「見られた」身体ではなく、それは何か他のもの、例えば「生物学的な有機体」などとかにならなくては「まなざしで捉える」対象とはなり…

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