国を愛して何が悪い213 2018年10月31日 鎌倉仏教の祖師たちを脅かしたのは、様々な煩悩だけではない。推古朝以来、すでに七百年の伝統をもつ仏教が、末法の世を迎えたという絶望と、同時に深い徒労感に襲われたにちがいない。一体何のために、仏教にかくも心を労してきたのか。亀井 同じ時代に、仏教を否定する者が現れても、おかしくないのである。日本独自の、無神論が現れても、然るべき時代だったはずだ。 ところが、真っ向から、否定をする者は、いなかった…続きを読む
国を愛して何が悪い212 2018年10月30日 さて、鎌倉仏教の始祖たち、そして、信徒たちは、南都北嶺の旧仏教宗派により、当然、異端として迫害され、或いは流刑に処した。 法然門下のように、死罪に処せられた者もいる。更に、始祖たちの死後に、その墓が破壊されるなどの、迫害が長く続いた。 しかし、旧仏教の内部にも、改革の動きはあった。 新仏教の影響力はつよく、祖師たちの教えは次第に普及して行ったが、逆に滅びゆく側として、王朝の伝統と旧仏教の秩…続きを読む
国を愛して何が悪い211 2018年10月29日 法然の「選択本願念仏集」によって、宗教改革への道が始まったのは、建久九年、1198年であり、日蓮の歿したのは、弘安五年、1282年である。 この間に、80余年の月日が流れている。 さて、日本の仏教は、どのように、変質していったのか・・・古代日本人の仏教受容は、造型面で、過激なほど発達していた。 東大寺はじめ、全国68箇所にわたる、国分寺建立である。外来文化を受け入れる際に生じる、一種の過剰…続きを読む