国を愛して何が悪い234

重要なのはこのときの「姿」だ。ところで「姿」という言葉ほど厄介なものはない。世阿弥は注意しているが、能の基本が「ものまね」だからといって、それだけを最上と心得て、「姿」を忘れては「幽玄の境」に入ることは出来ないと。その「姿」を、一体、どのようにして形成し、さらに確認するのか。言わば自己を知る方法なのだが、次のような難題を世阿弥は提出する。亀井 見所より見る所の風姿は、我が離見也。然れば、わが眼…

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