国を愛して何が悪い235

「風姿花伝第一」のなかで、五十有余になると、「せぬならでは手立てあるまじ」という観阿弥の晩年の心境を伝えている。「せぬ」とは何か。芸の或る円熟をめぐって、観阿弥の苦渋の顔が浮かんでくるような言葉だ。「花鏡」の奥の段では、世阿弥ははっきりと、「せぬをもて手立てとする也」と言い切っている。亀井 此の時分の習事と者、まづ、物数を少なくすべし。音曲を本として、風体を浅く、舞などをも手を少なく、古風の名…

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