国を愛して何が悪い246

「仏祖の言語すら多般を好み学ぶべからず」随聞記始祖たちの語録とか公案すら、多くを好み学んではならないということである。この心を撤してゆけば、「ひたすら坐禅」となる。捨てうるかぎりのものを捨てて、「ひたすら念仏」「ひたすら唱題」という鎌倉仏教の始祖たちに共通した「専心」「易行」のかたちになる。亀井 亀井は、鎌倉仏教の改革の祖たちを基準にして、室町期の仏教を判定する。それは、それで、また有意義なも…

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