神仏は妄想である575 2020年02月29日 善導もこのような罪悪凡人が清浄国土に摂取されるというような仏の密意は、凡人には、また常識的知性ではわからぬであろうという。「阿弥陀経」にも、この法は「難信之法」だと説いている。しかし宗教は科学や哲学のように、まず理解してそれから信ずるものとはかぎらない。否、信ずることとわかることが同時であるものである。信深きにしたがってわかることも深くなるのが宗教であることを、失念してはならぬであろう。研究家 …続きを読む
神仏は妄想である574 2020年02月28日 神仏は妄想である、を書き続けてきて、今は、浄土教について、その成り立ちを、中国仏教から見ている。 宗教の教義を、まさに学問のようにして、学んだ多くの僧たちである。 そして、その時代性と、精神である。 何故、そのような妄想に堕ちったのか、ということを、考える。およそ、1500年前の時代の中国である。 隋、唐の時代に当たる。日本では、推古天皇の御代である。 浄土教の最終段階は、善導である。…続きを読む
神仏は妄想である573 2020年02月25日 善導の浄土教大成のあらましについて、書く。 善導は、613年から、681年の人である。日本では、推古天皇の時代に当たる。 その善導の、浄土教がいかなるものであるかを、善導の著作から、見ることにする。 その一つに、観経疏の巻一の劈頭に、まず勧む。大衆よ。発願し、三宝に帰せよ。である。 僧も俗も、現代の大衆諸君よ。おのおの人生の理想、つまり、仏の悟りに、進む決意を誓願せよ、との語り掛けである…続きを読む