生きるに意味などない191

ブラパチャは、普通のサンスクリットでは、「多様性」「多者化」、すなわち何かをあらゆる方向に向かって多種多様に変転し、展開し、くりひろげていくこと、を意味するが、ナーガールジュナの哲学的コンテクストでは、根源的一者(「空」、「無」)が、様々な語の意味の示唆する分割線にそって、四方八方に分散し、散乱することを意味する。筒井俊彦 意味的分散・・・言語意味に基づく、一者の多者化。老子は、無名が有名にな…

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生きるに意味などない190

一般に、東洋哲学の諸伝統を通じて、根深い言語不信が働いていることは注目に値する。この言語不信は、大多数の場合、方法論的不信なのであって、コトバの意味表象喚起作用に謀られた人間意識の「妄念」すなわちコトバの生み出した現象的多者を、客観的にそのまま実在する世界と思い込む人間意識の根本的誤り、を打破して、その基礎の上に、絶対無分別者の立場から分節的世界の真相を、あらためて捉えなおそうとする試みなのだけ…

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日々の言い分586

過去数年、数十年の間、家事はどんどん省力化されてきした。それは、家事がきわめて重労働で、専属の人を配置しておかないと回らないくらいだったからです。なので、どんどん省力化効率化外注化されていったことは、・とても良いことだったと思います。ところが!ですよ。どうもそれが行きすぎた気がするんです。新型コロナの感染拡大で、StayHomeが叫ばれた今年の春先。自力で家事を回す必要がないくらいまで、削減され…

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