生きるに意味などない30

さらに物理的次元でもって理解のできる経験の形式でさえも、内部的な規則によって支配されることがあるのである。・・・
コーエン

次第に、核心に入ってゆく。
心理学者で、異端的な人の文は、推理小説を読む如くである。

内部的な規則とは、心である。
人間は、物理的次元で理解出来るものさえ、心によって、理解しているというのである。

その心とは・・・
精神である。
目に見えない世界のこと。

目に見えない物は、信じないという人は、数多くいる。
だが、私に言わせれば、心の、精神の無い人は、いないと、考えている。だから、おおよそ、そういう人は、アホなのだろう。

ところが、学歴の高い人が多いという、事実。
賢い馬鹿、という。

コーエンは、例を上げて、説明しているが・・・
面倒なので、結論を紹介する。

論理的・科学的な性質の心的活動は、本来的に事物あるいはことばの正面的な価値に、つまりそれらの字義通りのあるいは事実通りの意味に向けられている。
しかしわれわれはまた、事物やことばを字義通りではなく、象徴的な意味で受け取ることもできるのである。
だが、それだからといって、一段と劣ったものというわけにはゆかない。人は、観察者としての彼とは独立に存在する客観的な世界に、事実に即したやり方で尋ね入ることができるだけなのではない。彼は完全に、ましてや本来的に、物事をその正面的価値で受け取るのではない。彼はそれらを、等しく象徴的にも受け取るのである。
コーエン 改行は私

彼とは、独立する客観的な世界・・・
象徴的にも受け取る・・・

実に、象徴的である。

以前、イメージという言葉を、岸田氏の、文から見た。
イメージとして、受け取るのである。
それが、心の精神の、働き。

言葉にしても、イメージが先行する。
人それぞれの、心の世界は、イメージなのである。

とすると、人は百人百様である。
心理学という、統計学は、果たして、価値に値するものか・・・
値するのである。

考える手立てとして、だ。

少しばかりは、考える手立てが欲しいのである。
人間は、愚かなものなので、心理学でもいいから、手立てが欲しい。

それで、人を分析して、生活の糧にしている者、多数。

そうすると、心理学でも、未来が解る・・・
解ると、信じる人たちもいる。
信じる行為は、騙されると、一対であるが・・・

人の非写実的な努力の成果は、神話と詩、劇と音楽に見出される。これらは、そこからわれわれが高い水準へとよじ登ってきた出発点となる低い階段、すなわちかつてコントがわれわれにそう思い込ませようとしたような、神学から形而上学を通り科学へと至る心の発展の低い段階を表わすものではない。
それらは、論理的・科学的様式とは異なった象徴的表現を許すものであり、そして見る者の考え方もその知覚の仕方をも色取る一つの変容に起因するものであり、このようにして観察者を、外側の見かけや直訳的な字義通りの意味を超えたところに導くのである。
そこで事物とことばは一つの意味を帯びるが、その意味は、それが観察者と物的に独立して存在する何かを指していないからといって、現実性に乏しいというようなものではない。
コーエン

外側の見かけや直訳的な字義通りの意味を超えたところに導くのである・・・

とても、人間というものを、評価している学者である。
これこそ、信じるべきものと、思われるが・・・

だが、これは、理想である。
心理学者が、理想を書いて、どうする・・・

比喩的なあるいは象徴的な「知識」は、プラトン的な存在を楽しんでいるある霊妙な実存性や、またテーブルや電子が存在するという意味で存在しているある詩的な、神秘的な実在については何も教えてくれない。そうした知識が示している「実存」というものは、それがわれわれに対してもっている個人的な意義によって、充分に認められるものである。
コーエン

当たり前のことを、難しく書くというのが、プロの仕事と、納得する。

これは、翻訳が悪いのか・・・
元の文が、そうなのか・・・

分析という、面白い展開を、見せてくれる。
このような、心理学という、手品に、すっかり、嵌る人たちも、大勢いる。

生きる意味意識を求めて・・・
さ迷う、人間の性、さが、である。