もののあわれについて838

いと暑きころ、涼しき方にてながめ給ふに、池のはちすの盛りなるを見給ふに、いかに多かる、などまづ思しいでらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、日も暮れにけり、ひぐらしの声はなやかなるに、お前のなでしこの夕ばえを、一人のみ見給ふぞかひなかりける。

源氏
つれづれと わが泣き暮らす 夏の日を かごとがましき 虫の声かな

蛍のいと多う飛びかふも、夕殿で蛍飛んで、と、例の、ふるごともかかる筋にのみ口なれ給へり。

源氏
よるを知る 蛍を見ても 悲しきは 時ぞともなき 思ひなりけり

七月七日も例にかはりたること多く、御遊びなどもし給はで、つれづれにながめ暮らし給ひて、星合見る人もなし。まだ夜深う、一所起き給ひて、妻戸押しあけ給へるに、前栽の露いとしげく、渡殿の戸よりとほりて見わたさるれば、いで給ひて、

源氏
たなばたの あふせは雲の よそに見て 別れの庭に 露ぞおきそふ




大変、暑い頃、涼しいお座敷で、物思いに沈んでいらっしゃり、池の蓮が盛りであるのを、御覧になると、何と多い涙か、などと、何よりも先に、思い出して、気が抜けたように、ぽつりとしていらっしゃるうちに、日も暮れてしまった。
ひぐらしの声の賑やかなのを耳にして、お庭の撫子が、夕日に映えたさまを、ひとりで御覧になるのは、なるほどに、甲斐の無いことである。

源氏
することもなく、涙と共に、送っている夏の、この日、私のせいだというように、鳴く虫の声だ。

蛍が、いっぱいに、飛び交うにつけても、夕殿に蛍飛んで、と、例により、古い詩も、こうした内容のものばかりが、お口から出る。

源氏
夜と知り、光る蛍を見るにつけても、悲しいのは、亡き人を思う、我が心の火が、昼夜問わず、燃えるのである。

七月七日も、例年と変わらず、管弦の御遊びなどもされない。することもなく、思いに沈み、一日を過ごされる。星合の空を見る、女房もいない。まだ夜は、深く、おひとり起きて、妻戸を押し開けると、前栽の露が、しとどにおかれて、渡殿の戸口を通して、ずっと見えるので、外に出られて、

源氏
星の逢瀬は、天上世界のことと思い、いま、後朝の別れの涙の、露のおく、この庭に、私の涙が、加わるのだ。




風の音さへただならずなりゆく頃しも、御法事のいとなみにて、ついたちごろは紛らはしげなり。「今までへにける月日よ」と思すにも、あきれて明かし暮らし給ふ。御正日には、上下の人々みな、いもひして、かの曼荼羅など今日ぞ供養ぜさせ給ふ。例の宵の御おこなひに、御手水など参らする中将の君の扇に、

中将
君恋ふる 涙はきはも なきものを 今日をば何の はてといふらむ

と、書きつけたるを取りて見給ひて、

源氏
人恋ふる わが身も末に なりゆけど のこり多かる 涙なりけり

と、書き添へ給ふ。




風の音までが、たまらないものになってゆく頃は、御法事の準備で、月初めの頃は、何かと取り紛れている様子である。今まで、よく生きて来た月日だと、思いになるにつけても、我ながら、呆れる思いで、暮らしていらっしゃる。
御命日には、上下の人々が、皆、精進して、曼荼羅など、今日の日に、供養される。例により、宵の勤行に、御手水などを、差し上げる中将の君の扇には、

中将
あなた様を慕う涙は、きりもなく流れるのに、今日の日を、何の果てというのでしょう。

と、書きつけてあるのを取って、御覧になり、

源氏
亡き人を慕う私も、余命少なくなってゆくが、まだまだ残りの多い涙である。

と、書き添える。




九月になりて、九日、綿おほひたる菊を御覧じて、
源氏
もろともに あきいし菊の 朝露も ひとり袂に かかる秋かな




長月になり、九日に、綿でおおった菊を、御覧になり、

源氏
共に起きて置いた、菊のきせ綿、その露も今年の秋は、私一人の袂にかかる。

綿とは、花の露に移し、それで、身をぬぐうと、老いを去ると信じられていた行為。