生きるに意味などない34

われわれの第一および第二の問いに関連して外的なものを内に描き出す表象の二つの体系を、「明証性」がそこではたしている役割に関して、さらに区分することができよう。ここで「明証性」とは、行為を引き起こす感覚信号を意味する。
コーエン

学者は、概念と言葉を作るのが、商売であるから・・・
明証性・・・

行為を引き起こす感覚信号・・・
何のことか・・・

第一の体系は行為と結びついたものとして規定されよう。これは、信号が行為を保証するときにのみ働くものである。
たとえば赤ん坊のおなかに、医者に尋ねるという行為を保証するに充分なだけの斑点が出ているとき医者に電話するとか、消防士から見て、通報を正当化するのに充分な煙が出ているときに消防車を呼ぶとかの場合である。
コーエン

これで、解る通り、学者は、単なる人間の行為を、このように分析して、遊ぶ。
面白いので、続ける。

ここで「充分な」というのは、過去においてこれほどの煙の量であれば火事になったという、相対的な度数によって測られるものである。もし煙がわずかしか出ていないのに消防車を呼んだり、家が炎に包まれるまで消防車を呼ばずに待っていたりすれば、この人は適度なところから逸脱した「明証性」に基づいて行動しているのである。
他方、表象の第二の体系は、行為に対しては直接の関連をもたないものと考えることができる。それで、「明証性」はここではほとんど結果をもたない。
コーエン

心理学には、このような数式があるのである。
要するに、数学の世界である。
あらゆる学問に、数学が生きているという、証明である。

西洋の思想、哲学、その他の学問は、数学が基にある。
だから、答えが出ると、思い込む。
それが、理屈になったら・・・

私は、呆れる。

だから、以下も、
これまで、われわれはいくつかの定義を退出してきただけであった。今度は勇敢に問題と取り組んで、第一と第二の体系を、それぞれ「知性的」と「想像的」としてきわめて漠然と対比される二つのタイプの活動に関連づける仮説を立てることにしょう。わたくしが主として論じていることにとっては、この仮説を立てなければならない必要は少しもない。「知性的」と「想像的」の代わりに・・・
コーエン

いわば、「知性的」と「想像的」という、昔からの対立命題を、二つのタイプの表象を「明証性」に関して区分しながら、明らかにするためである。
コーエン

このように、面倒な議論にして、煙に巻く行為、著作・・・
賢い馬鹿なのだろうか。

二つのタイプの表象を「明証性」に関して区分しながら、明らかにするためである・・・
最初から、ここに至ることが、出来たはずである。

このようにして、哲学も、同じく、延々と、繰り返し、繰り返し、意味付けを目指している。
心理学は、哲学の子どもである。

この対立的な命題は、明証性の役割に関するかぎり、動物と人間との間の類似性に照らしてみればいっそう明らかとなるであろう。
コーエン

自説を解りやすく説明するためか、動物と、人間の間の類似性を見るという。
実は、そんなことは、全く意味が無い。

動物実験により・・・
人間を実験に使えない場合、動物を実験に使う、学問は多々あるだろうが。

心理学でも、動物実験の結果に照らして、云々という、馬鹿が多い。
特に、サルをモデルにして、幼児教育などを語るという。

人間の、教育学が、サルを手本・・・
実に、呆れる人たちだ。

そこから、大そうな、意味付けをして、教育を語るという、愚である。

多くの動物では、同一の行動パターンが、欲求が弱いときに加えられた強い刺激の結果として起こることもあろうし、あるいは、欲求が強いときに加えられる弱い刺激によっても起こるであろう。欲求が満たされないままにおかれる時間が長く、したがって欲求がいっそう強力なものとなるほど、それだけ刺激のヨク値は低くてもすむ。
最後にヨク値が零に達すると、反応は真空でも生ずる。いわゆる「空転反応」である。生体が爆発するといってもよい。
欲求と刺激のこの関係は、置き換えの法則と評してよかろう。この法則は、欲求が次第に強くなってゆくにしたがって、動物はつぎつぎと、次善の、第三の、あるいは第四の刺激を受け入れやすくなることを意味している。
コーエン

注・ヨクとは、門構えに、或である。

この人が言いたいことは、反応は、真空でも、生ずる。
空転反応・・・
置き換えの法則・・・

動物がその環境についてもつ解釈は、したがって二つの互いに逆に関係と合う要因に依存する。
すなわち、1,刺激の大小 2,刺激の生物学的に訴える力の大小、である。
このことはまた、人間についても当たっているように思われる。腹が減っている人はネコの餌でも食べるであろうし、溺れる人は藁をもつかむであろう。・・・
コーエン

勿論、この人は、これから、まだ自説を説くために、書きつける。
兎に角、最後まで見ることにする。