日々の言い分36

私は、戦没者の追悼慰霊で、回った国は、
タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジア、フィリピン、北マリアナのサイパン、チューク諸島の、春島、昔は、トラック諸島といった、パラオ、パプアニューギニア、インドネシア、オーストラリアの原住民、アボリジニの里、ゴーブ・・・

同じ国でも、色々な場所に出掛けた。

そして、一年を経て、衣類支援などを始めた。
今も、支援活動は、続けている。
食糧支援、学習支援・・・

出掛けて、はじめて、解ることが、多々ある。

出掛ける前に、色々と情報をくれた人がいるが、全く、役に立たなかった。
現地で、解ることばかりである。

つまり、一見は百聞にしかず、なのである。

追悼慰霊の場所も、思わぬところを見出すこともあった。
そして、支援活動も、である。

それらは、皆々、私の情報である。
何処に行くのか・・・

現地の人たちとの、会話・・・
とても、ためになる。

何せ、支援する場所も、現地で決める。
何処に、支援をするのかということも、現地で決めるから、手渡しの作業が出来るのである。

丸投げすることは、一切無い。

さて、追悼慰霊である。

遺骨収集ではない。
私は、あくまでも、慰霊である。
そして、それは、日本兵に留まらない。
敵味方関係ない。
そして、現地で、犠牲になった人たち。

だが、霊的現象に出会うことは、珍しいのである。

幽霊など、見ない。
しかし、パラオでは、忘れられない、霊的な思い出がある。

ペリリュー島に、三泊した。
最初の日は、到着した日であり、慰霊は、しなかった。

翌日に、親切な女の子の運転で、島を廻ることになった。
その女の子とは、船で、出会った。
そして、私の泊まる、ゲストハウスの娘だった。

不思議である。
すべて、準備されているような感覚である。

追悼慰霊は、三時間以上かかった。
女の子は、大学生であり、丁度休みだった。
それで、ペリリューに戻ったのだ。

簡単な英語で、会話しつつ・・・

その夜である。
現地時間で、夜中二時半の頃・・・

私は、目覚めさせられた。
体が、動かない。
それで、目覚めた。

すると、姿は見えないが、二階の私の部屋に、ガシャガシャという音を立てて、何者かが、やってくる。
その後ろに、大勢の兵士達であり、更に、その後ろには、米兵もいた。
およそ、200名ほど。

見えないが、そのように、感じるのだ。

私の部屋から、二階の踊り場、そして、外に出ると、ゲストハウスの前に、彼らがいた。

それが、私は、矢張り、三時間ほど、慰霊の儀式を執り行った。

日の丸を、二階の踊り場に、掲げて、まず、部屋の中で、君が代を三度、斉唱した。

それから、祝詞である。
そして、二階の踊り場に出て、兵士達に、話し掛けた。

その内容は、略す。

最後は、お送りの音霊を唱えた。
御霊、霊位を、お送りするのである。
何処へ・・・それは、略す。

ちなみに、キリスト教の人たちが、多い、敵兵のためには、キリスト教の祈りをする。ラテン語である。

その翌日、私は、今夜も現れたら・・・と思った。
が、翌日の最後の夜は、現れなかった。

つまり、慰霊をした日の夜のみである。
それで、安心した。
私の思いが、通じたと、感じた。

稀に、そういうこともある。