玉砕167

1938年、イギリスの日刊紙「マンチェスター・ガーディアン」中国特派員のティンパーリーが、「ホワット・ウォー・ミーンズ、戦争とは何か」という本を出した。

この本は、南京陥落前後に現地にいて、その一部始終を見たという匿名のアメリカ人の手紙や、防備録をまとめて、南京における日本軍の殺人、強姦、放火を告発したものだ。
この本の評価がいっそう高まったのは、その後、匿名の執筆者が国際委員会のメンバーで南京大学教授であり、南京の著名な宣教師として人望のあったマイナー・ベイツと、やはり国際委員会のメンバーで宣教師のジョージ・フィッチ師であると判明したことにあった。ベイツは東京裁判にも出廷し、日本軍の虐殺を主張した。
ストークス

宣教師・・・
私は、大航海時代から、500年の歴史を俯瞰して、宣教師ほど、信用出来ない者はいないと、気づいた。

宣教師は、それだけで、信用されるが・・・
彼らのすることは、白人の味方であり、罪深いことを、平然と命令するのである。

今回も、この二人の宣教師は、嘘偽りに大きく関わるのである。

国民党中央宣伝部国際宣伝処長の曽虚白がティパーリーに、「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版した」と証言していると前述したが、ベイツとフィッチも第三者ではなかった。
ストークス

案の定である。

宣教師たちは、キリスト教白人主義の、片棒担ぎである。
更に、野蛮極まりないことをも、その罪を許すと、命ずる。
呆れる、宣教師である。

侵略の手先となる、宣教師たち・・・

ベイツは国民党政府「顧問」であり、フィッチは妻が蒋介石夫人の宋美齢の親友だった。
ベイツは「その本(戦争とは何か)には、12月15日に南京を離れようとしていたさまざまな特派員に利用してもらおうと、私が同日に準備した声明が掲載されている」と述べている。その特派員はスティール、ダーディンなどであり、ベイツが渡した「声明」とは次のようなものである。

日本軍による南京陥落後
「二日もすると、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行をも含む買い手生活の勝手きわまる妨害などによって、事態の見通しはすっかり暗くなってしまった。市内の見回った外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告していた。・・・死亡した市民の大部分は、13日の午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き刺されたりしたものだった。・・・元中国軍として日本軍によって引き出された数組の男たちは、数珠つなぎに縛りあげられて射殺された。これらの兵士たちは武器を捨てており、軍服さえ脱ぎ捨てていた者もいた。・・・南京で示されているこの身の毛もよだつような状態は・・・」

このように、嘘偽りを声明だとする、根性である。
実に、呆れる。

しかしこうした記述は、国際委員会の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」の内容と、まったく相容れない。
ストークス

つまり、
「市民重大被害報告」は、ルイス・スマイル南京大学社会学部教授によって1938年2月にまとめられた。全444件中の123件がティンパーリーの著した「戦争とは何か」の付録に収録され、その後に蒋介石の軍事委員会に直属する国際問題研究所の監修で「南京安全地帯の記録」として1939年夏に英文で出版された。それによると南京陥落後の三日間の被害届は次のとおりとなる。

12月13日―殺人ゼロ件、強姦一件、略奪二件、放火ゼロ件、拉致一件、傷害一件、侵入ゼロ件。
14日、殺人一件、強姦四件、略奪三件、放火ゼロ件、拉致一件、傷害ゼロ件、侵入一件。
15日、殺人四件、強姦五件、略奪五件、放火ゼロ件、拉致一件、傷害五件、侵入二件。

これは日本側による報告ではない。国際委員会が受理した南京市民の被害届で、日本大使館へ提出されたものである。捕捉すると目撃者がいる殺人事件は、南京陥落後三日間でゼロであった。誰一人として殺人を目撃していない。
ストークス

誰一人として殺人を目撃していない・・・
だから、驚くべき、捏造である。

ベイツは、中央宣伝部の「首都陥落後の敵の暴行を暴く」計画に従って、「虚構」の報告を書いたと考えられる。ベイツは聖職者でもあり人望も厚かったので、ウソをでっち上げるるとは、スティールもダーディンも思っていなかったのかもしれない。
ストークス

この、スティールとダーディンは、世界で最初に、「南京大虐殺」を報道した。
歴史的栄誉に輝く、外国特派員となったが、東京裁判に出廷した時は、「頻発する市民虐殺」を事実として、主張することがなかった。

要するに、後で、ウソだと、解ったのだ。

まず、捏造の大元は、白人たちである。
そして、それを後に、利用したのが、中国共産党である。

まだ、驚愕の事実がある。

その前に・・・
何故、白人たちが、捏造したのか、である。
捏造する必要性は、何か、である。

よほど、日本が憎い・・・
日本軍が、強過ぎて、恐怖を感じた・・・

南京に入城した日本軍は、実に、規律正しかった。
天皇の軍隊として、皇軍として、南京攻略の司令官、松井石根大将は、綱紀粛正を徹底していたのである。

それに比べて、中国の様々な、軍隊は、軍隊もどきで、馬賊、匪賊の集団である。
市民達は、それらの行為を恐れたのである。

何せ、虐殺、略奪、強姦は、当たり前。
財を奪って、平然としていたのである。

国民党然り、共産党然り。