日々の言い分50

国家というものには、国家観というものがある。
それでは、日本の、国家観とは何か・・・

まず、海外の日本大使館の玄関扉の前には、日の丸ではなく、皇室、天皇の、御門である、菊の御門が、掲げられてある。

また、個人の日本人の、パスポートにも、日の丸ではなく、菊の御門である。

ここに、すべてが、現れていると、私は思う。

幕末・・・
中国、その頃は、清という国名である。

アヘン戦争が起こった。
それを見た、日本は、驚いた。
このままでは、日本も、白人の国、要するに、列強から、とんでもない目に遭わされる。

それから、明治維新が始まった。
その話は、省略する。

日本人の、国家観というものである。

まず、初代神武天皇の、お言葉にある、八紘一宇である。
世界は、一つの家、家族である。

当時の、日本を一つの家と、見立てた。

まず、日本の国家観とは、ひとつの家という意味である。
それが、天皇を主たる、要として、重んじた。

更に、世界も、一つの家。
それが、誤解された経緯があるが・・・
つまり、日本の世界侵略という、解釈である。
キリスト教白人主義の人間が、考えそうなことである。

だが、意味は、全く違う。

それぞれの民族が、それぞれに自立して、そして、相和すという意味である。

それが、敗戦後に、大きく、外れた。
つまり、自虐史観に表わされる、史観である。

有史以来の、大戦だった。
その大戦は、有色人種の国々の、独立であった。

すべての、アジア、タイを省く、アジアの国々は、皆々、殖民地であった。

日本が、侵略したのは、その殖民地である。
だから、戦ったのは、殖民地の宗主国である。

現地の人たち、その民族とは、戦っていない。
それが、侵略したという、誤魔化しにより、自虐的史観を、洗脳された。

勿論、洗脳の主は、アメリカであるが・・・
キリスト教白人主義の国々が、関与したのである。

この、キリスト教白人主義が、いかに、残虐極まりないものか、言葉が無い。

民族浄化、虐殺を是として、侵略したのである。
その底には、勿論、人種差別がある。

その、大元を、日本は、身を持って、正したと言う。

侵略したのは、誰か・・・
白人たちである。

その罪まで、着せられ、日本の洗脳が行われた。
そして、その国家観まで、否定されようになる。

今の今まで、それが、続いている。

明らかに、誤りである。

それで、今年は、敗戦から、71年を迎えた。
もう、そろそろ、気づくべきである。

日本の国家観である。
世界は、一つの家の如くという、天皇の御心が、日本の国家観の主である。

だから、天皇は、日本の平和と共に、世界の平和を、祈られる。

これが、君主たるものという、お姿を、天皇は、生きている。
天皇は、御一人と、言われる存在である。

私を、無くし、公を生きられる、唯一の、御方である。

それを、今、さらに、今、思い起こすべきなのだ。

日本人は、日の丸という、国旗と、菊の御門という、日本の国体を象徴する、国に生きるものである。

このようにして、書けば、私は、右翼、保守と言われるのか・・・
それは、どうでもいいことだ。

事実である。

事実を、告げて、右翼、保守と言われるなら、それで、いい。

これから、生きる、若い人にこそ、知って貰いたいことである。