急激に、進んだ、左翼支配である。
当然といえば、当然なのであるが・・・
敗戦から、GHQの、言い分を受け入れ、徹底洗脳に出会ったのである。
さて、日本の独立は、昭和26年9月8日の、サンフランシスコでの、対日講和条約会議が開かれ、条約発効により、独立した。
戦勝国52カ国だが、中国は、朝鮮戦争により、国連軍の敵対国家ということで、招聘されなかった。
また、インド、ビルマ、ユーゴスラビアの非同盟、中立の三国は、アメリカ主導だとして、ボイコットした。
また、ソ連は、条約案に反対し、調印しなかった。
この会議は、社会主義国と、非同盟、中立ブロックの反対で、アメリカを軸とする、資本主義諸国だけが、調印するという形で、終わった。
日本は、国家主権を回復した・・・
だが、私は、言う。
その日の夜、アメリカは、日米安保条約を、吉田茂首相に調印させた。
つまり、米軍が日本に基地を置き続けるというものである。
結果的に、現在に至るまで、米軍は、日本に基地を置いている。
それは、日本に軍事力を持たせないということである。
マッカーサーは、自衛隊の前身である、警備隊を作ったが・・・
日本の防衛力を、アメリカが担うという、心地よい言葉であった。
昭和27年4月28日、講和条約は、発効となり、日本は、国策を決定出来ることになった。独立が回復したという。
講和条約発効の後、日本では、政治的な対立が、繰り返された。
政党は、自由党と、自由党を脱退した、鳩山自由党、そして、改進党の保守中道勢力があり、社会党は、左派と右派に別れ、共産党という、革新政党があった。
社会党右派は、マルクス・レーニン主義を捨て、国民政党としての立場で、保守中道勢力と、話し合いを主張した。
だが、左派社会党と、共産党は、マルクス・レーニン主義に基づき、日本に、社会主義革命政権を、樹立しようと、考えていた。
現在は、社会主義とは、成功不可能な政治形態であることが、解った。
それでも、日本共産党が、未だに、存在する。
そして、未だに、暴力革命を信奉している。
そのためには、どんなウソも、許される。
それは、コミンテルンの教えである。
そのような政党が、議会で渡り合う。
政治が、スムーズに行われることはない。
片方は、アメリカ追従、片方は、ソ連寄りである。
硬直した、姿勢での、話し合いは、その論争自体も、深みがなかったといえる。
その時代は、米ソ冷戦の時代である。
アメリカは、日本に、資本主義陣営の、極東アジアの核としての、役割を求めた。
アメリカ軍基地の建設を巡り、地元住民が反対し、それに、革新団体が肩入れして、闘争が広がる図式が、全国に広がった。
昭和28年8月、アメリカのダレス国務長官が、日本に、強く兵力の拡充を要求している。
憲法九条を押し付けた、アメリカが、である。
警察予備隊は、安保隊と改まっていたが、11万人の地上軍を、35万人にせよという。
吉田茂首相は、民生安定のために、これほど大規模には出来ないと、断り、それでも、18万人体制にすることを、約束しなければならなかった。
アメリカ政府の関係者は、この期に、GHQの文官、将校が行った、日本の非軍事化、民主化政策に、不快感を持つという、状態になっていた。
つまり、憲法九条を、後悔し始めていたのである。
ダレスは、反共主義であり、アイゼンハワー大統領の元で、副大統領を勤めていたニクソンも、その考え方だった。
彼らは、日本から、一切の軍事力を奪ったのは、誤りだと、公言したのである。
つまり、憲法九条は、矢張り、おかしなものなのである。
今、現在も、その九条を守るという人たちがいるが、実に、矛盾している。
また、その憲法により、平和だと、本気で信じている人たちがいる。
交戦権が無いという、憲法である。
精々、専守防衛で留まる。
自衛としての、攻撃も出来ない。
北朝鮮のミサイルが、打ち込まれても、犠牲が出るまでは、何も出来ない。更には、アメリカの指示を待つ。
これが、独立国か・・・
全く、現実無視である。
世界は、性悪説に満ち溢れている。
しかし、日本は、性善説を信じ込んでいる。
信じる者は、騙されるのが、この世界であり、国際社会である。
軍事力なければ、まともな国際交渉が出来ないことに、何故、気づかないのか・・・