保安庁は、防衛庁になり、ここに、陸軍、海軍、空軍を持つことになった。
保安隊は、自衛隊に改まり、隊員は、15万人に達していた。
この、露骨な再軍備政策は、国内世論を二分させることになる。
しかも、このほかに、与党から、日本の社会主義運動を規制する法案が、次々に、提案されたのである。
昭和28年の、スト規正法、昭和29年の、教員の政治活動を禁止し、教育の中立を守るための、教育二法、警察制度の一本化をはかる、警察法などである。
与野党は、法案可決というより、可決と、反対だけで、ぶっかった。
相互に話し合い、妥協点を探そうなどという、意志はなかった。
当時の国会は、乱闘騒ぎが、相次いだ。
国際的にも、日本の民主主義の未熟さと、笑われたものである。
政策の対立は、米ソ冷戦構造の中で、アメリカにつくか、社会主義寄りになるか、中立を保つかという点だったが、その根源を探れば、憲法に行き着いた。
何せ、憲法九条で、戦争放棄、交戦権否定を謳うのである。
自衛隊という名の、軍隊を持つこと自体が、矛盾だった。
勿論、憲法以前に、国家には、自衛権があるという、学者もいたが・・・
現在の状況と、同じである。
実に、滑稽なことである。
独立国が、軍隊、軍備を持たないということ。
あり得ないことなのである。
確かに、国連加盟国の中には、軍隊を持たない国がある。
しかし、軍事同盟は、結んでいる。
軍隊がなくても、国家として、やって行けるという人がいるが・・・
あまりにも、愚かである。
地政学というものを、知らぬ者が言う。
全く、軍事能力がなくていいという、位置に日本は無い。
核兵器を有する、ロシア、中国、そして、北朝鮮がある。
安全保障を考えれば、同然のことと、解る。
さて、昭和30年2月の総選挙で、民主党の鳩山一郎内閣は、初めて、再軍備強化、憲法改正、そして、対ソ国交回復を掲げて、選挙に臨んだ。
民主党、自由党が、議席の三分の一を占めれば、憲法改正は、容易になる。
しかし、民主党は、大きく躍進したが、自由党が、それ以上に減少した。
左派、右派社会党は、わずかに、増えた。
三分の一を、一議席上回る結果である。
この段階では、国民の三分の二が、保守党支持である。
後は、革新支持である。
共産党もあったが、まだ国民の支持を強く受けている訳ではなかった。
ただし、知識人の間には、革新支持の気運が高く、それこそが、知識人という、錯覚、へんてこりん、な、人たちがいた。
進歩的知識人という、言葉が、マスコミで踊った時代でもある。
この、残滓が今も、残り、へんてこりん、なことを、今も言うのである。
昭和30年は、敗戦後から、10年目の節目に当たる年である。
日本の社会も、少しずつ落ち着いてくる。
経済企画庁が発行する、経済白書には、
もはや戦後ではない。回復を通じて戦後は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。
と、分析したが・・・
私は言わせれば、国民への迎合である。
この、10年の間に、精神まで、玉砕した、日本人が、多数存在した。
あの、東京裁判の、史観から、全く抜け出すことが出来ず、更に、その後も、その史観を頼りに、反日を目指す、左翼系が、多々現れたのである。
そして、その史観を、洗脳するという、輩である。
日本が、独立して、三年目である。
ここで、確認しておきたいことは、アメリカの影である。
それは、巨大な影だ。
占領政策は、終わったが・・・
アメリカは、日本から、手を抜くことは、なかった。
何せ、日本から取り上げた、日本統治の場所で、徹底的な、反日活動を行っていたのである。
これを、皆々、忘れている。
日本を悪の国という、イメージを作り上げるために、ありとあらゆる方法を取っていた。
これは、日本が、欧米諸国、キリスト教白人主義という、差別感情の最たるものであり、自分たちの行った、罪深い行為を、すべて、日本に負わせるという、考え方からである。
アメリカには、数々の、負い目があった。
それは、原爆投下だけではない。
日本の各都市への空爆行為であり、それらは、すべて国際法に違反するのである。
国際法とは、聞こえがいいが、それは、白人世界における法であり、有色人種には、当てはめられないものなのである。
ただし、日本は、経済的に豊かになり、それを持って、ショールームとしたい旨があった。社会主義国に、対してである。
今、現在までも、日本が、アメリカ統治の中にあると、私は言う。