玉砕172

経済を見れば、朝鮮特需の後に、一次的に冷え込んだが、企業は、資金が豊富で、盛んに、設備投資を行った。
政府、日本銀行も、公定歩合を引き下げて、設備投資を促し、経済の活性化に努めた。

昭和30年頃からは、神武景気といわれるほど、好景気になった。
つまり、それは、いまだかつて無いほどの、景気という意味である。

それも、アメリカの思惑通りだった。
東側諸国陣営、つまり、社会主義諸国に対する、ショールームとしての、日本である。
経済が豊か・・・
それが、見せ所だった。

だが、日本の政治は、混乱していた。
敗戦後からは、雨後の筍のように、政党が出来た。

大きく分けると、保守と革新である。
前回も書いたが、保守は、改憲、再軍備を進め、アメリカの同盟国としての立場を固める。革新は、護憲、非武装中立を目指すという、政策である。

そこで、政権を担うために、保守も革新も、統一を目指した。

最初は、社会党である。
左派、右派と分かれていたのが、昭和30年1月に、統一を決めて、10月に、統一大会を開き、委員長は、左派の鈴木茂三郎、書記長は、右派の浅沼稲次郎を選んだ。

そして、当時、日本に社会主義体制が出来るのは、好ましくないと、保守の側も、統一の話が進んだ。
資本主義体制を維持する、保守長期政権をということである。

昭和31年4月、民主党から、鳩山一郎、三木武吉、自由党から、緒方竹虎、大野判睦の四名が、代行委員となり、自由民主党が運営されることになった。

この、保守と、革新の体制を、後に、五五体制と呼ぶ。

保守合同後の政権、鳩山一郎内閣では、ソ連との国交を回復する。
鳩山は、国交回復は、日本の国益になるとの、考えがあった。

ソ連は、この国交回復で、日本の国際連盟への加入に、拒否権を使わないことになり、昭和31年12月18日に、80番目の加盟国として、国際連合に加わることになる。

昭和8年に、国際連盟を脱退して、23年ぶりに、国際的機関に復帰したのである。

自民党と、社会党の時代は、様々な政策面での、対立があった。
政権を担う自民党は、これまでの政治体制に相応しくないとして、いくつかの法律案を提出している。

昭和31年には、小選挙区制法案、新教育委員会法案、教科書法案、憲法調査会法案。
昭和33年には、警察官職務執行改正法案、昭和35年、日米安保条約改正案である。

昭和30年から、35年まで、与野党が対立する、法案が次から次ぎに、議会に提出された。

上記、アメリカ側からの見方をすれば、何のことはない、単なる、政治遊びに見えたであろう。

最終判断に関しては、確実に、アメリカが口を出すことになっていた。
勿論、日本側は、独立を勝ち取ったと、信じていた・・・

保守と、革新が対立することは、良いことだった。
いみじくも、マッカーサーが言った。
日本人は、12歳の少年である。

つまり、自由民主主義を知らないと・・・
デモクラシーを教えたという、マッカーサーの言葉である。

私は、色々な人が、解釈することを否定しはしないが・・・
未だに、日本は、アメリカからは、一人前ではないと、考えられている。
未だに、アメリカ占領政策が続いていると、考えている。

もし、一人前だとしたら・・・
今度は、潰しにかかるだろう。
現に、その後、日本はアメリカから、叩かれることが多くなったのである。

何より、憲法が軍事力を認めていないのである。
未だに、憲法九条によって、議論がされる。

何度も説明しないが・・・
独立国として、軍事力、軍隊を禁止する憲法というものは、この世界では、夢物語である。
改めて、地政学的意味、云々と言うまでも無い。

さて、一つ、まともなことがある。
自民党は、教師の組合である、日本教職員組合が、社会党を支える有力な組織であり、教師による、生徒への、偏向教育により、教育現場が歪められていると、主張した。
それは、今でも、そのようである。

歪められているだけではない。
終わっている。

簡単に言えば、彼らは、単なる、反日左翼なのである。
それだけで、充分な表現である。

反日左翼とは、国家転覆を目指して、共和制の国を造るというものである。
それは、日本の歴史の否定から、はじまる。
そして、捏造された歴史教育を行う。

ただ、それだけ。
まともな歴史教育を受けなければ、国が滅ぶ。
そう、国が滅ぶことを、願う者達の集いが、日教組である。

未だに、国旗掲揚、国歌斉唱に、文句を言うのである。
思想、信条の自由と言う。

思想、信条の自由も、国家あれば、のこと。
それを、知らない者達の、集いなのである。