玉砕184

皇太子殿下の、沖縄ご訪問を書いた。
そこで、昭和天皇の、欧州外遊について、少し書くことにする。

それは、天皇という存在が、どのようなものであるかを、改めて、認識されることでもあると、思う。

敗戦から、アジアの奇跡と言われるほど、日本は経済大国になった。
その昭和46年春に、外遊が正式決定された。

日程は、9月27日から、10月14日の、18日間である。
イギリス、ベルギー、西ドイツが、公式訪問であり、デンマーク、フランス、オランダ、スイスは、非公式である。

その当日は、天皇晴れと呼ばれる、晴天に恵まれた。
羽田を飛び立ち、途中、アラスカで、給油に着陸する。

その、アラスカには、何と、アメリカ大統領ニクソン夫妻が、わざわざ出迎えたのである。また、コペンハーゲンの空港には、デンマーク国王の、にこやかな歓迎があった。

いずれも、極めて、異例の厚遇である。

敗戦国の君主が、このように持て成されるとは・・・

だが、ヨーロッパでは、この訪問に対して、敵意と冷たい視線があった。

オランダ、イギリスの対日感情は、相当に厳しいことが、予想されていたが、最初の訪問国である、デンマークですら、糞尿が撒かれ、反天皇のビラが舞った。

イギリスでは、女王と同乗したオープンカーに、オーバーコートを投げつけられ、記念に植樹した杉の木が、一夜のうちに、切り倒され、根元には、塩酸がかけられた。

更に、オランダでは、投げつけられた瓶で、車のフロントガラスに、ヒビが入った。
日の丸が焼かれ、大使公邸の窓も、破られた。

大戦で、インドネシアを失い、捕虜虐待としての怨みは、徹底的だった。

ここで、私は言う。
日本により、植民地を無くしたことが、無念なのである。
つまり、その時まで、今も、現に、人種差別が徹底していたということである。


この、人種差別の感覚を、日本人は、実感出来ないのである。

自分たちが行った、野蛮なことは、全く棚上げである。
虐殺、略奪、強姦等々・・・

ヒロヒト・ゴホーム
ファシストの殺し屋
死んだ父を返せ
捕虜収容所で死んだ友のため、殺人者の到着に抗議する

ベルギー、そして朋友だったドイツでも、トマトを投げつけられ、デモに見舞われた。

さて、日本の一般観光客が、こんなことをされるはずがないのである。
天皇陛下だからこそ、日本を一身に背負う。

あらゆる憎しみが、天皇陛下に向けられる。
つまり、天皇陛下は、日本なのである。

勿論、日本人が海外に出れば、日本を背負うが、それとは、全く異なる、背負い方である。
それを、私は言う。

さて、イギリスでの女王公式晩餐会では、女王が、
両国は過去、必ずしも平和な関係ではなかった。しかしこのご訪問で、わたくしの祖父の時代につちかわれた日英関係が強化され、二度とあやまちを犯さない方向に進むと信じます。
と、述べた。が、天皇は、開戦を遺憾とする言葉がなかった。
それは、つまり、天皇陛下ではなく、宮内庁と外務省が、その文言を入れない、お言葉を作ったということだ。

公式の際の、天皇のお言葉は、あらかじめ、決められるのである。

だが、それが、イギリス人たちを、怒らせた。
新聞は、天皇が次の訪問国オランダに出発する日、
女王陛下の晩餐会に立った天皇は、英軍捕虜を使役してビルマの鉄道を建設させた政府の天皇と同じ人である。公式訪問という儀礼で、過去を拭い去ることはできない。

天皇の言葉は、両国関係が一貫して良好だったかのような「くだらない温和さ」に満ち、遺憾の言葉が聞かれなかったのは、何故か。
と、書いた。

最も、当然といえば、当然である。
あの、大戦で、戦勝国となったイギリスだが、最も、領土を奪われたのである。

つまり、皆々、独立を勝ち取ったのである。

私は、常々、キリスト教白人主義と、呼んで、白人の蛮行を書いているが・・・

人種差別の思想は、特に、イギリスから多く出た。
大航海時代から始まり、イギリスが、どほど、残虐な行為を繰り返してきたか、計り知れないのである。

その、イギリスを手本とするという、日本の皇室報道関係者には、呆れている。

イギリス王室は、千年の歴史というが、時々、断絶している。
日本は、万系一世の皇室であり、二千七百年の歴史を有する。

ローマ法王は、二千年の歴史であり、世界的に、天皇は、最高の権威者となる。

天皇陛下が、日本であり、更に、世界で、最も権威ある存在であることを、日本人は、知らないのである。

また、教える人もいない。