日々の言い分144

 私は機能別に脳を「思考系」「運動系」「視覚系」「感情系」「理解系」「聴覚系」「伝達系」「記憶系」の8つに分け、それぞれを「○○系脳番地」と呼んでいます(それぞれが脳のどの部分にあたるのかは、図1を見てください)。
 あなたがいつも使っている脳番地は、これからも使われる可能性が高い。しかし、脳は同じ使い方を続けると、楽をしようとして、省エネを覚えます。1時間かかったことが、30分でできるようになります。若いころは、これは「進歩」でしたが、50代に入ると、この脳の省エネ化は「退化」を招きます。
 一方、使っていない脳番地は、あなたがこれまでの人生で、あまり使ってこなかった脳番地ですから、50代からは急速に老化していくでしょう。だからこそ、先ほども述べたように40代のうちから、自分が使っていない脳番地を鍛える習慣を身につけることが大切なのです。
 しかし、40代の特に男性は、脳を鍛えるどころか、脳の使い方がマンネリ化し、著しい省エネ脳になりがちです。
 40代の女性は、仕事をしながら、家事や育児をし、地域社会でも様々な関係を築いていきます。だから、様々な脳番地が開発されて、マンネリ脳になりにくい。

上記の書き込み・・・
人間は、死ぬまで、脳が発達する。

勿論、死滅するものも多いが、まだ大半が残っている。

それは、使用するか、否かである。

新しいことに、挑戦するのが、最も良いが・・・
中々、新しいことに取り組むには、勇気がいる。
特に、年齢を重ねると・・・

左脳は、意外に使っているが、右脳は、あまり使わない。
それは、非言語系である。

つまり、感じる力。
自然を見る。
つまり、見る、聞くから、眺める。
そんな普通のことを、まともにしていないのである。

私は、毎日、読書をして、物を書くが・・・
そして、食事を作る。

とても、手際が良い。
それは、自慢である。

更に、創作活動をしている。
一人話の原稿、漫才の原稿なども、書くが・・・
でも、作家でも、認知症になる。

だから、余計なことをする。

海外での、追悼慰霊、支援活動は、とても、刺激になり、今も、刺激になっている。
つまり、支援活動を続けているからだ。

それでも、まだ足りないと、思う。
兎に角、確実に、死ぬのであるから、死ぬまで、休みなく、動く。
死ねば、動かない。
死は、静寂と、停止である。

休むのは、死んでからで、いい。

生きている限りは、動く。動き回る。
ただ、私は、無意味な運動が、苦手である。

意味ある、運動、つまり、買い物が主だが・・・
スパー、市場・・・
自転車に乗る。

そして、毎日、今日が、死ぬ日と、思っている。
毎日が、死ぬ準備の日である。

脳が、いつまでも、進化するというのが、救いだ。

何せ、人生は、一度限り。
生まれ変わるといっても、次の人生が、今の私とは、同じではない。

ただ、魂の修行のみ。
矢張り、ここにいる、私は、未来永劫、ただ一人なのだ。

更に、輪廻転生とは、実に、複雑極まるもので、この世の言葉で、説明する人は、本当の輪廻を知らない。

何々の、生まれ変わりだと、簡単に言う人は、本当のことを、知らないから、言える。

魂は、分離する。
その一部が、生まれ変わることの方が、多い。
だから、単純に、何々の、生まれ変わりなどとは、言えないのである。

兎に角、一度だけの存在として、生きるに越したことはない。

そして、だから、管になって、生き続けることには、反対する。
そこで、今、死ぬ義務、という題で、エッセイを書き始めている。

勿論、私のエッセイは、金にならない。
金にならないことは、しないと言う人がいるだろうが・・・

私は、金のために、生きるのではない。
貧しいが、貧しさを、悲観することもない。

何せ、日本人の、心象風景は、もののあはれ、なのだ。
この、もののあはれ、を生きるということが、私には、肝心要である。

だから、和歌を詠む。
日本の心は、歌の心である。

あの、源氏物語でさえ、歌の物語である。

別エッセイ
もののあわれについて
を参照ください。

延々に終わらないエッセイを書く・・・
死ぬまでの、暇つぶしである。