それを、時間信仰と、小原氏が言う。
そこで、私は言う。
近未来の時間という、意味付けをして、生きているのである。
時間、というものも、意味付けなのである。
遠い未来の先には、死ぬことがあるが・・・
そこまでは、考えないでいる。
だから、人間は、大したことのない存在である。
辛うじて、予定を立てて、死なないつもりで、生きている。
私は、コンサートの主催をしていた時期、一年後の、予定を立てて、ホールを予約した。
そして、その時、いつも、死んでいるかもしれないが、と、思った。
更に、追悼慰霊、支援活動で、海外に出掛ける予定を立てる時も、同じであった。
死んでいるかもしれないのに・・・
生きるつもりで、計画を立てる。
時間信仰も、意味付けであるから、それは、幻想、妄想の類になる。
と、いうことは、時間といものも、意味付けされて、初めて成り立つ。
何とも、愚かなことで・・・
賢い人も、馬鹿者も、アホも・・・
時間を信じて生きる。
こんな話がある。
金に執着した若者の話。
30代で、ガンになり、死ぬことになった。
そして、信頼する友人に連絡して、自分が死んだら、7億円の金があるから、それを、棺桶に入れてくれと、頼んだという。
家族にも、渡したくない、金だった。
何と、寂しい人生かと、思うが・・・
彼は、寂しさなどない。
あるのは、ただ、金に対する、執着である。
勿論、その霊、魂は、あの世に行かないのは、当然である。
金に、執着して、この世に、ウロウロしている。
人間の、魂は、憑くのである。
モノに憑く。
思念、念である。
それが、実は、意味付けにも、大きな影響を与える。
教えられた、意味付けを信じて、死後も、そのままに、その意味付けを信じている。
死んだら、終わりではない。
思い、というものは、残るのである。
だから、私は、何一つに、意味付けしない。
ただ、確実に、解る事、生まれたら、死ぬ、という一点だけが、頼りである。
それを言うために、延々と書く。
死ぬまでの、暇つぶしである。
小原氏の、続き、
現代人はさまざまな自由をもち、自由を誇り自らが宗教的であるなどとは夢にも思わないとしても、明日という日を信じて生きる時間信仰からは自由ではない。未来があるとあてこみ、せめていまを気楽にかまえていようというのは、時間信仰でなくて何であろうか。
しのびるよる死を無視し、また外敵(外国を仮想敵国として意識することも、外国が日本を敵視することにも、日本人は無頓着すぎる)からの侵略もないものとみて、ともかく次にくるものに期待をかけ、ケセラセラと生きてゆくこころーーー現代日本人の無気力とか無関心、あるいはマンガや競馬への執心も、じつはこのような時間観の上になりたつ近接未来への「信仰」が原因だと思われる。
小原 改行は私
危機意識を持て・・・か
日本という、風土は、危機意識を持たなくていい、風土である。
外敵の、侵入も、島国だから、無い。
しかし、現在、中国が尖閣諸島ばかりではなく、沖縄までも、中国領と言い、侵略行為を続けている。
更に、北朝鮮の、ミサイルである。
おめでたいのは、ミサイル攻撃からの、避難訓練である。
何と、おめでたい、そして、無頓着なのかと、思わせる。
その、原因は、アメリカに守られているという、妄想である。
敗戦後から、米軍が駐留して、日本を守っていると、信じている。
信じる者は、騙されるから、いずれ、痛い目に遭う。
国防、防衛に対する、危機意識の無さは、見事なものである。
こんな、国民が存在することが、世界の奇跡である。
更に、反日日本人の存在である。
不思議で、しょうがない。
更に、在日韓国、朝鮮人と組んで、政府に反旗を翻して、行動する。
少しの憲法改正も、出来ない。
その解釈なども、少し変化させるだけで・・・
徴兵制になるだの、戦争をする国になるだの・・・
妄想全開である。
これは、私に言わせれば、死ぬまでの、暇つぶしも、ここまで売国的な行為は、罪であると、言う。
国があっての、国民であり、防衛があっての、生存である。
生存権とは、誰もが持つ。
その、生存権を放棄するような、行為行動は、罪である。
その罪意識がない、という愚かさ。
付けるクリスが無い。
未来があると、あてこみ・・・
あてこむ、と、死ぬ。