一期は夢か。いや、夢ではない。
確かにわたしたちはここにいる。日本の現実も、フィリピンの現実もひっくるめて時は前に進む。
披露宴のさいごに、二人は会場と外界を結ぶ、小さな橋の上に並んだ。橋をはさんでこちら側が一夜限りの幻想、向こう側には厳しすぎる日々の暮らし。十分それを知りながら、エイシァとフランシスは、あらん限りの思い切りの良さで、今日という日を飾った。
二人が見上げる夜空に、打ち上げ花火がつぎつぎと弾けては消えた。となりの席では、あっけにとられた顔のロザンナが、「お金、使ったね」という。
ロザンナによると、エイシァは思い出が欲しかったのだと。
使った金は取り返せばいい。二人は若い。フィリピンは、アジアは、若い血潮がたぎっている。まだまだこれからだ。今後100年間、フィリピンは先進国に追いつけない、と分析屋は言う。そう言う誰かも100年後にはいない。未来を信じるかどうかは、他人が決めることではない。
後日談。
わたしの泊まったホテルは、エイシァたちの住むバランガイ(長屋街というのが当たっているかもしれない)の、裏通りに面していた。披露宴、小島への小旅行が終わり、明朝日本へ出発という夜、二人はホテルへやって来た。
すでに時計は10時をまわっていて、レストランは閉まっていたのだが、ウェイターがフランシスの友人なので、座らせてくれた。ホテルのオーナーの子供も、エイシァの同級生だという。
水がのみたい、というエイシァに、フランシスは湯冷ましをガラスの水差しに入れて持ってきた。「エイシァは体調を崩しやすいんだ。冷たい水だと身体が冷えてしまうみたい」とフランシス。
エイシァは普段着に戻っていた。Tシャツに丈の短いパンツ、底の薄いサンダル。バランガイのどこにでもいそうな女の子にみえる。海水を洗い流すためにシャワーを浴びたので、化粧もしておらず、洗い髪のままだった。
グラスで湯冷ましをのみつつ、エイシァは自動小銃の引き金を引いたように話し出した。次から次へと話題が出てきて尽きることがない。ときおりわたしは、あいづちを打ちつつ話をまとめた。そうしないと理解が追いつかない。
ニューヨークの株式相場の取引を仕事にしているエイシァ。夜勤なので、10時頃といえば、いちばん頭が冴えてくる時間なのだろう。いわゆる新自由主義経済が、地球の裏側のネグロス島にも押し寄せている事実を苦慮しているふうだった。
マニラの富裕層がネグロスの不動産投資に目を付けた。いまは建設ラッシュでバブルのような状況にある。海沿いの平地がごっそりと二束三文で買いたたかれ、いつの間にか高級住宅街に変わった。わたしも小島への小旅行の途中で目にした。バコロドは様変わりしつつある。
地元民に恩恵がまわって来る事はない。バコロド周辺の土地開発で得た金は、信用のあるスイスの銀行などに預けられる。植民地時代から続けられてきた、伝統的な方法である。金融関係の職に就いたエイシァは数字に強い。いまバコロドに何が起きつつあるか、実感として分かっているはずである。
「わたしは小さくてもいいから、ビジネスを持ちたい。マニラで暮らすのはたいへんだけど、そこで何かしらつかんで、いつの日かバコロドに持ち帰りたい。バコロドの人脈はひろいから、そこにアイデアが加われば、きっと何か出来るはず」
いつの間にか11時を過ぎ、12時近くなっても、エイシァは帰らなかった。となりで、眠気をこらえてまぶたをおさえるフランシス。なかなか大変だね、などとわたしは勝手な事を考えつつ、音の止まらなくなった目覚まし時計みたいなエイシァを見た。
エイシァは「ヴィジョナリー」なのだ。夢想する人ともいえるし、他の人の見えない先を見てもいる。話をきいているだけでも楽しい。不可能に思える事でも可能に思えてくる。
「わたしの話はきいたわね。それで、あなたはどうしたいの?」
どきりとした。わたしはどうしたいのだろうか。出来る事なら、エイシァのような、意思を持つアジアの友人を大切にし、日本に力を貸してもらえるような仕事をしたい。それがどんな具体的な職業か、まだはっきりつかめないのだけれど。
「何かしたいなら、プランが大事よ。それから協力してくれる人。どこからお金を出させるかも考えないとね。ひとつでも欠けたら現実化できないわ。どこで、誰と出会うのかしら? アイデァの根拠は? ターゲットは?」
しどろもどろになりつつ、無理くり答えをひねり出す。細くて小さなエイシァのどこにこれほどのエネルギーがあるのか不思議に思いつつ。
顔を覆っていた手をひろげ、フランシスが大きく伸びをした。
「さ、エイシァ、明日もたくさんやる事あるから、そろそろ帰ろうか」
「そうね、じゃ、次に会うまで、あなたの考えをまとめといて、コータ」
先生みたいにそう言い残し、エイシァとフランシスは、人通りの少なくなった通りの闇に溶けるように去った。さいごの角を曲がり、姿が見えなくなるまで、わたしは見送った。不思議に淋しさや名残惜しさは感じなかった。きっとまた会えるという気がしてならなかった。エイシァは、さすがに身体は疲れていたのだろう、足もとがふらついていて、それを支えるフランシスの優しげな手がまぶたに焼き付いた。
*
さて翌朝。荷物をまとめ、強行軍に耐えかねてべろり、と靴底のはげた革靴をゴミ箱に突っ込んで、バランガイへ。途中公設市場により、コーヒー豆屋でネグロス島産の豆を2キロ買い込む。これがうまい。エイシァの家には、ニジおばさんしかいなかった。二人は支払で銀行へ行ったという。
おばさんがバランガイの入り口まで送ってくれた。タクシー運転手に怒鳴る。
「外国人だからってぼるんじゃないよ! まともな値段でのせたげな!」
どこかで見た光景に奇妙な既視感を覚えつつ、タクシーに乗る。バコロドからマニラへ。いいかげんなフィリピン航空の職員にハラハラ。日本行きのターミナルへ行く方法など誰も教えてはくれない。
3泊4日の短い間に、ぎゅっと中身のつまった旅だった。得た教訓を3つにまとめる。1点目は、まず不可能に思える事でも、決定して実行すればどうにかなる事。2点目は、いわゆる新自由主義経済の残酷さが、フィリピンでも牙をむきつつある事。3点目は、そんな時代において、面と面で向かい合う人付き合いは必ず力になるという事。
そうした事に気が付けたのは大きかった。
将来にやりたい事を「夢」と呼ぶ。寝ている時にみる夢とは少し性質が違うけれど、共通するのは、いずれも現実をこね合わせてつくられている事。
いま見ている現実に、少々強引なこじつけをして、「夢」を見る。つまり夢を見なくなった人とは、現実に顔を向ける事ができなくなった人、ともいえそうである。
どんな年齢、どんな立場にあっても「夢」は見るべきだ。他人には見られない、自分だけの「夢」を――。