生きるに意味などない99

われわれが過去の記憶とよぶものは、いまわれわれが覚えているかぎりにおいての過去である。・・・
同様に近接未来はいま自分が問題にしうるかぎりでの未来である。子供は約束のプレゼントがいま欲しいのであり、老人は死をいま怖れている。来世も天国も、そして地獄さえも、われわれがいま知りうるもののなかにしかない。
われわれの意識の外にあるものは、過去であれ未来であれ、いずれも無である。知りうるかぎりの過去と未来だけが、われわれの過去であり未来であり、両者はともに、いまのものなのだ。いまとは線的時間観のもつ過現未を集約したひとつの綜合点として、われわれの生において中心的な重さをもつ。いまだけがわれわれに属する時間なのだ。
小原 改行は私

延々と、人間は、このようなことを、考えて来た様子である。
語り過ぎる、禅などでも、このような、言葉の羅列を好む。

少しばかり、思慮がある人は、そんなことは、十分承知している。
しかし、何故、このような繰り返しの、言葉が、多くの人から出るのか・・・

矢張り、人に何かを説いて、それが、自分のためになる人たちがいるのだろう。

これは、自分に言い聞かせて、納得して、安堵するものである。

今だけが、我々に属する、時間・・・
当たり前である。

今、の他に、何があるというのか・・・
過去も、未来も、今の内にある、存在するものである。

更に言えば、その、今、でさえ、幻想、妄想の内にあるとは、知らない様子である。

考えることは、哲学のはじめ、であるが・・・
言葉に堕落すると、終わる。
つまり、延々と語り続ける必要がある。
終わらないのである。

人間は、終わりのない語りを、延々と続けてきたのである。
そして、何か、少しでも、良くなったのか・・・

更に、その良くなったものは、何か・・・

実は、何一つも、変わっていないのである。
千年前の人たちも、今、現在の人たちも、何も変わらないのである。

万葉集を読むと、いい。
恋に苦しみ、悲しみ、喜ぶ人たちは、今、現在の人たちと、変わらない。

何か、変わっているのか・・・
ただ、周囲の状況が、少しばかり、発展している、進歩している程度である。

われわれの意識の外にあるものは、過去であれ未来であれ、いずれも無である・・・

過去も、未来も、無、当然である。
そして、今も、無かもしれない。
ただ、知らないだけである。

人間は、ただ、騙されているということに、気づかない存在なのである。

千年前の、万葉人は、今は、どうしているのか・・・
いない。無、である。

ただし、お陰様で、その人たちの、歌が残るのみ。
彼らは、一体、どうしたのか・・・

私も、彼らと同じような存在になる。
つまり、無、である。
この世に、存在しない者になる。

それが、最も真実、事実なのである。

人生の、百年程度を、生きている。
一体、それが、何なのか・・・

私は、生きるに意味などない、という、エッセイを書いている。

つまり、無、から、無、への、存在である、人間が生きることに、意味などないのである。

死後の世界については、別エッセイ、霊学にて、参照ください。

最も、私は、この世を、仮の世というつもりも、ない。
ただ、意味がないことを、言う。

そして、意味のない人生を送る人たち・・・へ
明確に、意味がないことを、伝える。

勿論、霊学から言えば、生きるのは、魂の修行云々という言葉が出で来る。

その、修行は、人生の無意味に、耐えることである。

人間は、動物である。
しかし、唯一、動物の中で、大脳が進化した。
それゆえに、失ったものが多い。
そして、余計なものを、得たのである。

それが、言葉による、表現である。
それは、素晴らしいことだが・・・

言葉を重ねることにより、意味の意味付けになり、果ては、意味付けで、自殺することになるのである。

あるいは、狂う。

成功哲学という、バカなものがある。
潜在意識を云々というが・・・
あれは、潜在意識を知らないから、言える。

もし、本当に、潜在意識を開くと、人間は、狂うしかなくなる。
潜在意識の、怖さを知らない者が言うのである。

潜在意識が、別次元と導通すると、この世の人間は、狂うのである。

成功といっても、たかが、金を得ることである。
富裕層になって、成功したと、思う心が、悲しい。

人間は、無、から、無、への、存在である。
それは、死ぬという、事実が証明する。

そして、死ぬと、口無しである。