生きるに意味などない100

いまを生きる者は、いわゆる過去や、いわゆる未来を、たんに過去とか未来とは言わない。過去があるというのは、自分が解釈し直した過去がいまあるということであり、未来があるというのは、自分が作り上げた未来がいまあるということである。
現在でないような過去は私には存在しないが、現在にならない未来も私には存在しない。ほんとうに過ぎ去ったことを私は知らず、ほんとうに未だ来ぬことを私は知らない。私には過去も未来もないのだ。時間はあるなら、いまだけがあるのである。
小原 改行は私

つまり、人間には、今、しかないのである。
過去も、解釈した過去が、存在するのみ。
そして、未来も、今、考えている、未来があるのみ。

との、説教である。
それも、意味付けである。

それでは、今の、私は、何故、存在しているのか・・・
過去があるから、その線的存在として、存在しているのか・・・

だが、過ぎ去った過去は、もう、二度と、無いのである。
そして、その過去に、意味付けすると、何か分かったような気分になる。

この、解ったような気分、それが、人生である。

実は、何も分かっていない。
本当に、解れば、狂うだろう。

何せ、生きていることが、奇跡なのである。
何故、私が存在するのか・・・
生まれたから・・・

生まれたから、生きるのである。
そして、生きているというのは、何の意味もない。

そこに、意味を見出せば、何とか生きられると、思い、意味付けを行う。

だが、残念ながら、生きるに意味などない、のである。

そして、この無意味に耐えられずに、七転八倒する。

何故、無意味に耐えられないのか・・・
それは、人間の大脳化ゆえの、悲劇である。

人間は、地獄に生まれて、悲劇を生きる。

悟り、というものが、あれば、それ、である。

そして、救いとは、死ぬことである。
更に、救いは、確実に、与えられてある。
黙っていても、死ぬからである。

だから、死ぬことを、急ぐ必要はない。
何度も、言う。

人間は、どんな生き方も、許されている。
そして、それは、すべて、利己的である。

方便としての、利他の行為というものが、あるのみ。
利他の行為も、突き詰めれば、利己的なのである。

人間は、利己的だから、生き延びてきた。
人類が、生き延びたのは、利己的だからである。

自己犠牲・・・そんなものは、無い。嘘である。

もし、犠牲というものが、あるならば、ただ、大義に生きるということである。
戦争で死ぬ人たちが、そうだ。

人殺しは、何処の国でも、罪である。
だが、大量殺人をする、戦争だけは、人を殺すことが、義務付けられる。
そこに、大義があるからである。

私は、戦争には反対するが・・・
戦争回避が出来ない、場面が多々ある。
何故か・・・

戦争を好む、民族がいるからである。
例えば、キリスト教白人である。

絶えず、彼らは、戦争をしていた。
いや、戦争というものを、始めたのは、キリスト教白人である。

とても、野蛮な民族である。
そういう、野蛮な民族がいる限り、戦争は、無くならない。
そして、彼らは、侵略し、植民地化して、支配する。

その有様は、実に、酷いものである。
大航海時代という、西欧が主の時代があった。
500年ほどに渡り、彼らは、徹底的に、有色人種の国、地域に出掛けて、虐殺をした。

更に、強奪、略奪である。

色付き人間は、人間ではないという、傲慢さで、動物と同じように、殺した。

南米では、一億人ほど。
北米では、インデアンを、虐殺した。
オーストラリアでは、原住民を、殺しまくった。

民族を、絶滅させた。

だが、今も、平然として、生きている。
更に、自分たちのしたことに対する、罪悪感もないのである。

私は、それを、キリスト教白人主義と、呼ぶ。
この、キリスト教白人主義は、今も、世界を支配している。

勿論、日本が一国で、立ち上がり、彼らの植民地を皆々、独立させた大東亜戦争、第二次大戦があるが・・・

それでも、今も、白人が世界を支配しているのである。

その白人たちの、作り上げた、民主主義とか、自由と平等、主権在民の思想は、幻想、妄想の類である。

人を騙して平然としているのが、キリスト教白人主義の面目である。
ちなみに、共産主義も、そこから、生まれた、嘘八百の思想である。

この世は、地獄なのである。