日々の言い分171

成功の別名は、持続である。
だから、持続していることは、成功なのである。

多くの持続出来ない人を、見て来た。
それは、最初から、大きな目標を掲げるからである。

出来ることから、始める。
それが、実に難しいようだ。

そして、成功とは、お金儲けだと、考える人の多いことにも、驚かされる。
お金を得ることが、成功だと信じることは、悪いことではないが・・・

世の中の、大半の問題が、お金にまつわることである。
だから、それでも、いいのだが・・・

私は、それほど、お金に執着がないから、言えるのかもしれない。

この世に、欲しいものがないのである。、
何一つとして、欲しいものがない。

だから、お金を得ていた時期も、土地も、マンションも、建物にも、興味が無かった。
投資するという、考え方がなかった。

それより、心を満足させるものは、知識と教養だった。
勿論、お金があれば、それも、満たされると、考える人がいることも、知っている。

お金があれば、何にでもなることが出来るという人がいたが・・・
作家でも、画家でも、何にでもなれると言うのである。

それも、考え方である。

さて、持続出来ない人とは、安易な期待と希望を持つ。

私は、戦没者の追悼慰霊と、支援活動を始めた時、何の力む必要もなかった。
長年の希望を、叶えるという、一点である。

そして、それから、11年を経る。

ただし、体調と、経済的な問題で、二年間、海外に出掛けていない。
だが、心の内では、続けているのである。

また、機会があれば、出掛けて、慰霊を行う。
支援は、体力の問題である。

丸投げの支援はしないので、体力が問題になる。
それは、年のせいで、どうしようもないことだ。

だが、慰霊は、出来る。

戦没者の、追悼慰霊は、私の使命だと、気づくことがある。
そして、出掛けて、慰霊の所作を行う。
すると、まだまだ、慰霊が必要であると、痛感する。

終わらないのである。
終われないのである。

何度、慰霊の行為をしても、納得出来ない。

追悼とは、追って悼むこと・・・
だから、戦記を読み続ける。
そして、繰り返し読むことになる。

私の出掛ける場所は、激戦地が多い。

大東亜戦争の犠牲者である。
その戦争の意味と、意義を探りつつ、回る。

そして、若き命を捧げた、兵士たちの、心根を探る。
とても、痛い、行為になる。

その地に、平和な今だから、出掛けることを知る。
実に、心に、痛い思いをする。

だが、私の行為は、成功している。
持続しているからだ。

更に、現地に出掛けなくとも、日本にても、慰霊は、出来る。
それも、救いである。

追悼し、慰霊する。

それは、別名、平和運動である。
デモをすることでも、演説をすることでもない。

祈る・・・
黙祷する。

黙祷が、最高の祈りの形であることに、気づく。

つまり、ある一定の時間を、捧げるのである。
それが、唯一の祈りの形となる。

言葉は、必要ない。
勿論、言葉を使って、慰霊することもある。

日本兵の場合は、特に、大和言葉が、いい。

成功とは、持続である。
こうして、私は、持続して、成功している。

お金儲けの、成功ではない。
それで、私は、実に満足である。

そして、これは、最高の、自己満足の形である。

私の、勝手な思い込みで、やっている。

だから、批判は無用なのである。