国を愛して何が悪い182

紫式部はじめ作者たちは、漢詩文や経典を知らなかったのではなく、当時その点で一流の知識階級であった。漢語にも熟達していたことを忘れてはなるまい。しかもひらがなを用いてあのような物語を書いた。つまり源氏物語とは、七世紀以来、唐文化の影響を圧倒的にうけて変貌を開始した民族の、言わば変貌の最大の結晶なのだ。万葉古今や多くの口伝物語を伝統としてにないながら、他方で外来の新しい信仰・思想をうけいれ接木した、その結果生じた見事な果実のようなものだと言ってもよかろう。
亀井 現代文は私

まことに、大変な努力を要したと、思われる。
しかし、日本の文化は、そうして、外来のものを、和風化する力を持っているということである。

そしてこの場合の接木作用は、紫式部のいわゆる「たゆたふ心」のきわまりにおいて、或いはその故に生じた病める状態において、はじめて可能だったのではなかろうか。ことによると、同じ事情がひらがなを発生・普及せしめたのかもしれない。王朝時代においては、女房たちがまさにそれを迫られる位置にあったのである。
亀井

その他の、女房文学は、取り上げないが・・・
女房文学は、花盛りである。

名前だけを、上げると、清少納言、和泉式部、道綱の母、孝標の女・・・

孝標の女の、「更級日記」は、源氏物語が成立して、およそ半世紀後のことである。源氏物語を読むという、その興奮が伝わる、日記である。

別エッセイ、もののあわれについて、では、和泉式部日記、紫式部日記を取り上げている。
原文と、現代文を掲載している。
そらちを、参照ください。

さて、女房文学の、成立した十世紀後半から、十一世紀後半にかけて、およそ百年間は、藤原家の摂政関白時代の、最盛期にあたる。
兼家、道長、頼通の三代が、中心である。

中臣以来の、日本最古の名門である。
それは、史上稀有な存在である。


道長の摂政時代は、頂点にあり、天皇、東宮の祖父、三后の父という、外戚関係により、彼の権威と声望は、確立し、一族の繁栄がある。

その藤原家も、結局、致命傷となったのは、地方行政の紊乱と、それに乗じて、擡頭してきた、在地の武士集団の実力行使である。

例えば、十世紀前半における、平将門と藤原純友の反乱が、その始まりである。

併せて、僧徒の堕落と、暴力化、盗賊、海賊の横行は、平安期の特徴と言っていい。
こうした、危うさの、上に、財政の大浪費が行われていたのである。

兼家は、法興院を、道長は、法成院を、頼道は、宇治平等院を建立した。

大伽藍建立という、造型を通して、新しい鎮魂の場を得ようとしたのは、奈良、平安の、氏族、貴族の伝統である。

藤原最盛期は、すでに、仏教の、鎮護国家という意識は、かろうじて、比叡山、高野山に、受け継がれていたが、実質的には、挫折していた。

それが、上流貴族、家庭的個人的祈願のための、造寺という方向に至るのである。

ただ造型への、過度とも思われる情熱だけは前代からひきつがれた。美意識を信仰のうちに包摂する密教教義の影響のもとに、造型への情熱は一層そそられた感である。
亀井

この時代に、流布したのは、浄土教である。
それゆえか、阿弥陀堂建立は、平安期に入り、急増する。

であるから、法興院、法成寺、平等院の大伽藍の中で、最も重視されたのは、阿弥陀堂である。

道長が平安京に建立した、法成寺は、同時最大の、規模を持った、最高美の伽藍といわれる。

それは、当時の、浄土教が、密教を持って、成立したということが、理解される。

双方共に、造型的に、結合している様子である。

と、いうより、無批判に、仏教を取り入れていたと、言える。
つまり、教えというより、まず、造型から始まるのである。

仏教の、第一義は、無い。

現代から解釈すると、それは、国宝となるべき存在であるが・・・

これらのことを、「栄華物語」「大鏡」なとで、取り上げている。

そこには、多くの技術者、使役人と、巨万の富を傾けたこと。
また、それに対する、賛美と共に、皮肉な発言もある。

東大寺造営の際に起こった、非難と同じようなことも、起こったのである。

道長は、栄華物語、大鏡などに、記されているが、当時の、理想的人間であったという。
源氏物語の、光源氏の中にも、彼の面影があると、いわれる。

天皇の外戚としての、栄華の頂点に存在したことへの、畏怖の念と共に、「神を育む人」としての、古代的信仰もあったとは、亀井の評論である。

道長の死は、61歳である。
阿弥陀堂の中で、大往生を遂げたと言われる。

「神ながら」における「死」が、仏教信仰へ移ってきて、「往生」となった推移の一頂点として、・・・権力者の臨終がこのように描かれたことは、以前にはなかった。
亀井

栄華物語の、一節である。
それは、省略する。

「神ながら」から、「往生」という、推移に、日本の精神の変異を観る。
変異というより、共生であろうか。
神仏混合は、自然な形で、移行した様子である。