もののあわれについて906

兵部卿の宮に対面し給ふ時は、まづこの君達の御事を扱ひぐさにし給ふ。今はさりとも心やすきを、と思して、宮はねんごろに聞こえ給ひけり。はかなき御返りも、聞こえにくくつつましき方に、女がたは思いたり。世にいといたう好き給へる御名の広ごりて、好ましくえんに思さるべかめるも、かういと埋づもれたるむぐろの下よりさしいでたらむ手つきも、いかにうひうひしく、古めきたらむ、など思ひしく給へり。




兵部卿の宮、匂宮に対面なさる時には、何よりも、この姫君たちのことを、話題にされる。
今は、何でも、気兼ねもいるまいと思い、宮は、ねんごろに文を差し上げになるのである。少ししたお返事も、申し上げにくく、気のおけることを、姫君たちは、お考えであった。
世間に、大変色好みという、ご評判が広まり、心をそそる恋の相手と、思し召していらっしゃるらしいので、こんな片田舎の、むぐろの下から、差し上げるお返事も、どんなに世慣れない時代遅れのものだろうかと、憂鬱でいらっしゃった。




さても、あさましうて明け暮らさるるは月日なりけり。かく頼みがたかりける御世を、昨日今日とは思はで、ただおほかた定めなきはかなさばかりを、明け暮れの事に聞き見しかど、われも人も後れ先立つ程しもやは経む、などうち思ひけるよ。きし方を思ひ続くるも、なにの頼もしげなる世にもあらざりけれど、ただいつとなくのどかにながめ過ぐし、もの恐ろしくつつましき事もなくて経つるものを、風の音も荒らかに、例見ぬ人影も、うちつれ、こわづくれば、まづ胸つぶれて、もの恐ろしくわびしうおぼゆる事さへ添ひにたるが、いみじう堪へがたき事、と、ふたところうち語らひつつ、ほす世もなくて過ぐし給ふに、年も暮れにけり。




さて、それにしても、驚くことに、過ぎてゆくのは、月日であった。
こんなに儚い、御寿命であったものを、昨日今日のこととは、思わず、ただ誰彼なしの、無常の世は、日夜見聞きしていたが、先立つ父宮と、残される自分と、月日の隔たりがあろうなどとは、思ってもみなかった。
今までの事を、思い返してみても、何もいいことのありそうな世の中でもなかったけれど、ただ月日の経つのも、気づかず、のんびりと暮らして、恐ろしい目にも、恥ずかしい目にも遭わずに来たのに、風の音も荒々しく、見慣れぬ人が連れ立って、案内を乞うと、途端に、気が動転して、何か恐ろしく、心細い思いまでするようになったのは、辛くて、たまらないことだ。と、お二方で、話し合いながら、涙の乾く間もなくて、お過ごしになっているうちに、年も暮れてしまったのである。

二人の姫君のことである。




雪あられ降りしく頃は、いづくもかくこそはある風の音なれど、今はじめて思ひ入りたらむ山住みの心地し給ふ。女ばらなど、「あはれ、年はかはりなむとす。心細く悲しき事を。あらたまるべき春待ちいでてしがな」と、心をけたず言ふもあり。「かたき事かな」と聞き給ふ。




雪や、あられの降りしきる頃は、何処にも、こんな吹く、風の音だけれども、今と始めたばかりの、山住まいの気持ちになる。
女房たちが、ああ、年は変わる。心細く悲しいことばかり。良いことのある年を迎えたい、と、気を落とさずに言う者もいる。
姫君は、難しいことだ、と、お聞きになる。




むかひの山にも、時々の御念仏に籠り給ひしゆえこそ、人も参りかよひしか、阿闍梨も、いかがと、おほかたに、まれに音づれ聞こゆれど、今はなにしにかはほのめき参らむ。いとど人目の絶え果つるも、さるべき事と思ひながら、いと悲しくなむ。何とも見ざりし山がつも、おはしまさで後、たまさかにさしのぞき参るは、めづらしく思ほえ給ふ。この頃の事とて、たきぎ木の実拾ひて参る山人どもあり。




向かいの山でも、時々、御念仏にお籠りなさった、縁故があったからこそ、人も行き来したのだが、阿闍梨も、どうですか、とひと通り、たまにお見舞いを申しても、今では、何をしに、顔を出し、参上しよう。
いっそう、人の出入りが途絶えてしまうのも、当然のことと思いつつ、まことに悲しいことであった。別に、目にも留めなかった、袖人でも、お亡くなりになって後、稀に、ご機嫌伺いにやって来るのがいると、珍しく思いになる。
この頃の事なので、木の実を拾って、持ってくる、仙人どももあった。