玉砕220

1914年、大正3年、パナマ運河の開通から、アメリカは、太平洋は我が海とばかりに、縦横無尽の活動が始まった。
その頃から、太平洋への野望を妨げる存在として、日本が目障りだった。

さて、第一次世界大戦の終結で、1919年、パリ講和会議が開かれた。

戦勝国の日本は、この会議で、世界で初めて、人種差別撤廃を強く提案した。

人種平等の理想論には、表向き、反対は出来ない。
そこで投票である。
19名中、11名の賛成であった。
が、議長の、アメリカ大統領、ウィルソンは、イギリスと共に、このような重要な決定は、全員一致でなくてはならないと、難癖をつけた。

当然、彼ら、白人は、それでは困るのである。
植民地を多く持つ、欧米列強には、都合が悪い。

可決した提案を、否決するという、有様である。

日本の提案の成功を、心待ちにしていた、世界中の、多くの植民地民族は、否決と聞いて、改めて、白人の横暴を非難し、日本に同情し、解放の時を目指して、決意を新たにしたのである。

1921年、大正10年、日米戦を予想していたアメリカは、その戦力を優位にするため、ワシントンでの、軍縮会議を提唱してきた。

日米戦は、海軍の力が決め手になるとの予想から、海軍主力艦の英米日の比率が、五対五対三に、決められた。

日本側は、特に海軍は反対したが、当時の政府は、財政上、軍縮計画を歓迎したのである。

ワシントン会議は、戦艦と航空母艦についての、保有比率である。
補助艦艇については、制限がなかった。
そこで、アメリカは、補助艦艇についても、制限しておく必要から、1930年、ロンドン会議で、海軍軍縮条約を提案した。

日本は、これにも、賛成である。
結果、英米日の戦力は、10対10対6,97に抑えられた。

ワシントンと、ロンドンでの会議は、名目は軍縮会議だが、英米にとっては、軍拡だった。
つまり、日本のみが、軍縮を迫られたのである。

当時の日本は、まさか英米と戦争を起こすなど、考えられないことであった。つまり、安心して、軍縮に応じたのである。

ここで、もう一つの事実を書く。
この、ワシントン軍縮会議では、日英同盟の破棄を、アメリカは、両国に迫ったのである。
日本は、勿論、反対した。
だが、イギリスは、すでにその使命が終わったとして、アメリカの提案に賛成したのである。

つまり、米英は、協力して、日本の勢力を拡大させないことを、目論んだのである。

当時の日本は、まさか英米と戦争を起こすなど、考えられないことであった。つまり、安心して、軍縮に応じたのである。

だが、日英同盟の破棄の提案を受けた時、気づくことだった。

日本は、いつも、お人よしである。また、性善説で物事を考えるのである。
今、現在も、そのようで・・・
世界は、国益と、性悪説で、動くのである。

キリスト教白人主義の、野蛮さ、狡猾さを日本人は、未だに、知らないと、私は、見ている。

さて、満州である。
日露戦争以来の、日本の利権があり、1932年、すでに五族協和を理想とする、満州国が、成立していた。

だが、アメリカは、それを狙っていたのである。

満州は、緯度の上からも、広さも、アメリカと類似して、資源が豊かである。可能性の高い土地だった。

この満州の、利権を狙って、アメリカは、虎視眈々と、その時間を待ったのである。

つまり、侵略である。
日本が、侵略したという、敗戦後の洗脳は、そろそろ、止めた方がいい。

世界的に、侵略行為をしたのは、キリスト教白人である。

満州における、様々な、工作がある。
ソ連のスターリンである。

日露戦争の敗北の、怨みを晴らそうと、陰険な、謀略を画策していた。
その一つは、敵同士を戦わせることである。
そして、戦いは、長く続けること。
最後に、両者が疲れ果てた時に、割って入り、漁夫の利を得るというもの。

ソ連にとっては、英独、日米も、資本主義国で、ソ連の敵である。

そこで、まず、資本主義同士を戦わせ、混乱させる。
そして、最終的には、世界共産革命を完成させるという、考えである。

第二次世界大戦後、それを見事に、実践して見せた。
領土を拡張し、共産国を増やし、戦争の目的を果たしたのは、ソ連であった。

勿論、戦争には、負けたが、日本も、目的を果たしたのである。
それは、アジア諸国の独立である。

日本には、戦犯という、犯罪者はいない。
もし、第二次世界大戦の、戦犯とするならば、私は、アメリカのルーズベルト、そして、ソ連のスターリンを上げる。

更に、アメリカに戦いを希った、イギリスのチャーチルである。

まさに、戦犯と言える、人物たちである。

西欧から見れば、ドイツのヒトラー、イタリアの、ムッソリーニであろう。

ただし、西欧は、いつも戦争をしていた場所である。
キリスト教とは、戦争をする、宗教である。
そして、戦争は、キリスト教から、始まった。

今、現在も、そうである。