もののあわれについいて911

御心にあまり給ひては、ただ中納言を、とざまかうざまに責め恨みきこえ給へば、をかしと思ひながら、いとうけばりたる後見顔にうち答へきこえて、あだめいたる御心ざまをも、見あらはす時々は、薫「いかでか、かからむには」など、申し給へば、宮も御心づかひし給ふべし。匂宮「心にかなふあたりを、まだ見つけぬ程ぞや」と宣ふ。




胸に余る思いは、一途に中納言を、あれやこれやと責めて、恨み言をおっしゃるので、おかしく思いつつ、いっぱしの保護者気取りで、お答え申し上げる。浮ついたお心を見る時には、とても、とても、こんなお心がけでは。など、申し上げるので、宮の方も、気を付けるだろう。匂宮は、気に入った相手が、まだ、見つからぬ間のことだ。と、おっしゃる。




大殿の六の君を思し入れぬこと、なま恨めしげに、大臣も思したりけり。されど、匂宮「ゆかしげなき中らひなるうちにも、大臣のことごとしくわづらはしくて、何事の紛れをも見咎められむがむつかしき」と、したには宣ひて、すまひ給ふ。




右大臣家、夕霧の、六の君を、お気にかけなくて、何となく恨めしく、大臣も、思うのである。そうはいっても、宮の方は、あまりにも近い間柄で、面白くもなし、大臣もたいそうに、気を使われるので、どんな些細な忍び歩きでも、咎められそうで、窮屈なのだ。と、内内で、おっしゃり、お断りになっている。




その年三条の宮焼けて、入道の宮も六条の院に移ろひ給ひ、何くれともの騒がしきに紛れて、宇治のわたりを久しうおとづれ聞こえ給はず。まめやかなる人の御心は、またいとことなりければ、いとのどかに、おのが物とはうち頼みながら、「女の心ゆるび給はざらむ限りは、あざればみ情けなきさまに見えじ」と思ひつつ、「昔の御心忘れぬ方を深く見知り給へ」と思す。




この年、三条の宮が焼けて、入道の宮も、六条の院にお移りになり、何やかにやと、取り込みがあったにの紛れて、宇治の辺りには、長らくご無沙汰申し上げている。
生真面目なお方の心は、格別違っているので、落ち着き払って、ご自分の物と、当てにされながらも、女の気持ちが解けないうちは、ふざけた失礼な真似はしない。と、思い、故院のご遺言を守っていることを、良く知って頂きたい、と思っている。




その年、常よりも、暑さを人わぶるに、「川づら涼しからむはや」と思ひいでて、にはかにまうで給へり。朝すずみの程に出で給ひければ、あやにくにさしくる日影もまばゆくて、宮のおはせし西の廂に、とのい人召しいでておはす。そなたの母屋の仏の御まへに、君たちものし給ひけるを、け近からじ、とて、わが御方に渡り給ふ御けはひ、忍びたれど、おのづから、うちみじろき給ふ程、近う聞えければ、なほあらじに、こなたにかよふ障子のはしの方に、かけがねしたる所に、穴の少しあきたるを見おき給へりければ、外に立てたる屏風をひきやりて見給ふ。ここもちに几帳を添へ立てたる、あな口惜し、と思ひて、ひき帰る折しも、風の簾をいたう吹きあぐべかめれば、「あらはにもこそあれ。その御几帳おし出でてこそ」といふ人あなり。をこがましきものの、うれしうて、見給へば、高きも短きも、几帳をふたまの簾におし寄せて、この障子に向かひて、あきたる障子より、あなたに通らむとなりけり。




その年は、例年になく、暑くて、皆がこぼすが、川岸は、涼しいだろう、と思い立ち、急にお伺いになった。
朝の涼しいうちに、お出ましになったので、あいにく、差してくる日差しもまぶしくて、宮が生前お使いになっていた、西の廂の間に、下男をお召しになる。そちらの母屋の仏様の御前に、姫君たちは、おいでになっていたのだが、近すぎないようにと、自分の居間にお移りになる、気配である。音を立てないようにしていても、知らず知らず、身じろぎなさるたびに、間近に聞こえるので、じっとしてはいられず、こちらとの隔ての、襖の端のほうに、掛け金をしてあるところに、穴が少し空いているのを、以前に見ていたので、外に立ててある屏風を動かし、覗かれる。
すぐこそに、几帳をびったりと立ててるあとは、残念と思い、身を引こうとする丁度その時、風が簾を、酷く吹き上げるらしくて、丸見えです。その几帳を押し出して、という人がいる。
馬鹿なことをすると思うものの、嬉しくて、御覧になると、高いのも、低いのも、几帳を仏間の簾のところに、押し寄せて、この襖に向い合せの襖が開いているのを通り、あちらの居間に行こうとしているところであった。