もののあわれについて915

薫「あはれなる御ひとことを聞きおき、露の世にかかづらはむ限りは、聞こえかよはむ心あれば、いづかたにも見え奉らむ、同じ事なるべきを、さまではた思し寄るなる、いとうれしき事なれど、心のひくかたなむ、かばかり思ひつる世に、なほとまりぬべきものなりければ、改めて、さはえ思ひなほすまじくなむ。世の常になよびかなる筋にもあらずや。ただかやうに物へだてて、こと残いたるさまならず、さしむかひて、とにかくに、さだめなき世の物語を、へだてなく聞こえて、つつみ給ふ御心のくま残らずもてなし給はむなむ。はらからなどのさやうにむつまじき程なるもなくて、いとさうざうしくなむ。世の中の思ふ事の、あはれにも、をかしくも、うれはしくも、時につけたるありさまを、心にこめてのみ過ぐる身なれば、さすがにたづきなくおぼゆるに、うとまじく頼み聞こゆる。きさいの宮はた、なれなれしく、さやうに、そこはかとなき思ひのままなるくだくだしさを、聞こえふるべきにもあらず。三条の宮は、親と思ひきこゆべきにもあらぬ御若々しさなれど、かぎりあれば、たやすくなれきこえせずかし。そのほかの女は、すべていとうとくつつましく恐ろしくおぼえて、心からよるべなく心細きなり。なほざりのすさびにても、けさうだちたることは、いとまばゆく、ありつかず、はしたなきこちごちしさにて、まいて心にしめたる方の事は、うち出づることもかたくて、うらめしくもいぶせくも、思ひきこゆるけしきをだに見え奉らぬこそ、われながら限りなくかたくなしきわざなれ。宮の御事をも、さりともあしざまには聞こえじ、と、まかせてやは見給はぬ」など、言ひい給へり。




薫は、心にしみるお言葉をお聞きして、露同然に儚いこの世に、このように生きる間は、お付き合い願うつもりだから、どちらの方とご一緒になっても、同じ事のはず。そうまで、また、考えて下さるとは、実に、嬉しい事だが、好きな成る心は、これほど捨てきったこの世なのに、矢張り、消えないものなので、今更、そうは思い直せない。世間普通の仇っぽい恋ではないのだ。ただ、このように、物越しで、言いたいことも言えない有様ではなく、差し向かいで、何やかにやと、儚いこの世について、気兼ねなく、申し上げ、お心を隠さずに、お相手下さればいいと。兄弟などで、そのような話し相手の年の者もなく、とても、寂しい。一日一日のことについて、感激したり、興味を持ったり、憂鬱だったりする、その時々のことを、話す相手もいない私だから、何と言っても、拠り所ない気がする。お親しくしている、皇后さまは、これは、馴れ馴れしく、そのように、つまらない好き勝手な、煩いことを、お耳に入れてよいはずもない。三条の宮は、親と思うが、思い通りの若さで、ご身分柄、気軽に申し上げなくて。その他の女は、全く、嫌で、きまり悪く、怖い気がして、心から、気の許せる人がなく、心細い。軽い遊び事でも、色恋めいたことは、とても手が出ず、落ち着かず、話にならないほど、こちこちで、まして大事に思う方のことは、言い出すこともできず、恨めしとも、じれったいとも、思い申し上げている、素振りだけでも、御覧いただけないのは、吾ながら、この上ない、偏屈振りだ。宮の御事も、いくら何でも、悪いようにはいたすまいと、まかせて御覧くださらないか。などと、おっしゃる。




老人はた、かばかり心細きに、あらまほしげなる御ありさまを、いとせちに、さもあらせ奉らばや、と思へど、いづかたも恥づかしげなる御ありさまどもなれば、思ひのままには聞こえず。




老女も、これほど、心細いにつけて、願ってもないご様子に、しきりと、ご結婚させたいと思うが、どちらの方も、気恥ずかしく感じるご様子で、思う事が、申し上げることが出来ないのである。




今宵はとまり給ひて、物語などのどやかに聞こえまほしくて、やすらひ暮らし給ひつ。
あざやかならず、物うらみがちなる御けしき、やうやうわりなくなりゆけば、わづらはしくて、うちとけて聞こえ給はむ事も、いよいよ苦しけれど、おほかたにてはありがたくあはれなる人の御心なれば、こよなくももてなしがたくて、対面し給ふ。仏のおはする中の戸をあけて、みあかしの火けざやかにかかげさせて、すだれに屏風を添へてぞおはする。外にもおほとなぶら参らすれど、薫「なやましうて無礼なるを、あらはに」などいさめて、かたはら臥し給へり。御くだものなど、わざとはなくなして参らせ給へり。御供の人々にも、ゆえゆえしきさかななどして、いださせ給へり。廊めいたる方に集まりて、この御まへは人げ遠くもてなして、しめじめと物語きこえ給ふ。うちとくべくもあらぬものから、なつかしげに愛敬づきて、もの宣へるさまの、なのめならず心に入りて、思ひいらるるもはかなし。




今宵は、お泊りになり、お話しなど、ゆっくりと申し上げたくて、ぐずぐずと小暮を、お待ちになる。
すっきりとせず、何やら、恨めし気なご様子。
段々と、やりにくくなって行くので、困ってしまい、気楽にお話し申し上げるのは、益々と、辛くなるが、そのほかは、滅多にないほどの、思いやり深い人柄なので、そっけないお扱もしにくく、対面される。
仏様のいらっしゃるお部屋の、中の戸を開けて、灯明の火を、赤々とかき立てさせて、すだれに屏風を添えていらっしゃる。外にも、灯を差し上げたいが、薫は、気分が悪くて、失礼な格好ゆえ、丸見えでは。などと、止められて、横になっていらっしゃる。
果物などを、わざとらしくないように整えて、差し上げた。御供の人々にも、気の利いた、肴などで、酒を出された。一同は、廊のような場所に集まり、こちらの御前は、人の気配を遠ざけて、しりみりとお話しされる。
打ち解けそうにもないものの、優しく、可愛らしいところがあり、物をおっしゃるご様子が、強く心を捉えて、胸が切なくなるのも、はかないのである。