もののあわれについて916

かく程もなき物の隔てばかりをさはりどころにて、おぼつかなく思ひつつ過ぐす心おそさの、あまりをこがましくもあるかな、と思ひ続けらるれど、つれなくて、おほかたの世の中のことども、あはれにもをかしくも、さまざま聞き所多く語らひ聞こえ給ふ。内には、姫君「人々近く」など宣ひおきつれど、さしももて離れ給はざらなむ、と思ふべかめれば、いとしも守り聞こえず、さししぞきつつ、みな寄りふして、仏の御ともし火もかかぐる人もなし。ものむつかしくて、しのびて人めせど、おどろかず。大君「ここちのかきみだりなやましく侍るを、ためらひて、暁がたにもまた聞こえむ」とて、入り給ひなむとするけしきなり。薫「山路わけ侍りつる人は、ましていと苦しけれど、かく聞こえうけたまはるに、なぐさめてこそ侍れ。うち捨てて入らせ給ひなば、いと心細からむ」とて、屏風をやをら押し開けて入り給ひぬ。いとむくつけて、なからばかり入り給へるに、引きとどめられて、いみじくねたく心うければ、大君「へだてなきとは、かかるをや言ふらむ。めづらかなるわざかな」と、あはめ給へるさまのいよいよをかしければ、薫「へだぬ心をさらに思しわかねば、聞こえ知らせむとぞかし。めづらかなりとも、いかなる方に、おぼし寄るにかはあらむ。仏の御まへにて誓言も立て侍らむ。うたて、なおぢ給ひそ。御心やぶらじと思ひそめて侍れば、人はかくしもおしはかり思ふまじかめれど、世にたがへるしれものにて過ぐし侍るぞや」とて、心にくき程なる火影に、みぐしのこぼれかかりたるを、かきやりつつ見給へば、人の御けはひ、思ふやうにかをりをかしげなり。




こんな、ほんの仕切りにすぎないものに、妨げられて、落ち着かない気持ちで、時を過ごすことの、ぼんやりぎみが、何と馬鹿げていることか、と考えてしまう。だが、顔には出さず、関わりのない世間話を、哀れにも、面白くも、色々と興味を持つように、お話しして差し上げる。
お部屋には、姫が、みな、近くにいるように、などと仰せつけになっていたが、そうまで、よそよそしくされない方がと、思っているらしく、たいして、お守りもせず、引きかえって、一同横になって、仏様の、お灯明をかきたてる人もいない。
薄気味悪くて、そっと、人をお召しになるが、起きてこない。
姫は、気分が悪く、苦しゅうございますので、少し休んで、明け方にでも、改めて、お話し申し上げます。と言って、引っ込みになろうとするご様子。
薫は、山道を踏み分けて参りました私は、尚の事、苦しいのですが、このようにお話しさせていただくのに、元気づけられております。振り捨てて、お入りくださいますなら、寂しくてたまらないでしょう。と言い、屏風をそっと押し開けて、お入りになった。とても、嫌な気分がして、奥に半分ほどお入りになったのに、引き留められて、酷く悔しく、情けないので、姫は、気兼ねなくとは、こういうことを言うのでしょうか。変なされ方です、とたしなめる様子が、一段と素晴らしいので、薫は、気兼ねなくとは、私が申したことを、ご理解下さらないから、お教え申し上げようと思いまして。変ななどとは、どういうことを、思いでしょうか。仏様のお前で、誓いもしましょう。変に怖がらないで。お気持ちを、損ねまいと、心に決めております。人も、まさかこんなのだとは、思いますまいが、変り者の、馬鹿正直な男で、通しておりまして。と言い、ゆかしく、またたく火影に、御髪が、はらはらとかかっているのを、掻きやりつつ、御覧になると、姫のご様子は、思い通り、美しく、可憐である。




かく心細くあさましき御住みかに、すいたらむ人はさはりどころあるまじげなるを、われならで尋ね来る人もあらましかば、さてややみなまし。いかにくちをしきわざならまし、と、きし方の心のやすらひさへ、あやふくおぼえ給へど、いふかひなく憂しと思ひて泣き給ふ御けきしの、いといとほしければ、かくはあらで、おのづから心ゆるびし給ふ折もありなむ、と思ひわたる。わりなきやうなるも心苦しくて、さまよくこしらへ聞こえ給ふ。姫君「かかる御心の程を思ひよらで、あやしきまで聞こえなれにたるを、ゆゆしき袖の色など、見あらはし給ふ心あささに、みづからのいふかひなさも思ひ知らるるに、さまざまなどさむ方なく」と、うらみて、なに心もなくやつれ給へる墨染の火影を、いとはしたなくわびしと思ひまどひ給へる。薫「いとかくしも思さるるやうこそは、ことわりなれど、と恥づかしきに、聞こえむ方なし。袖の色をひきかけさせ給ふはしも、ことわりなれど、ここら御覧じなれぬる心ざしのしるしには、さばかりの忌おくべく、今はじめたる事めきてやは思さるべき。なかなかなる御わきまへ心になむ」とて、かの物のね聞きし有明の月影よりはじめて、折々の思ふ心のしのびがたくなりゆくさまを、いと多く聞こえ給ふに、恥づかしくもありけるかな、と、うとましく、かかる心ばへながらつれなくまめだち給ひけるかな、と、聞き給ふこと多かり。




このように、頼りなく、酷いお住まいで、気の多い男にとっては、邪魔一つありそうもない。私以外に、尋ねて来る者でもあったなら、こんなことでは、済まない。どんなに、悔しい思いをすることかと、今までの、自分の気の長さにさえ、ひやり、とされるが、いいようもなく辛いと、思い泣かれるご様子が、とても可哀そうなので、このようではなくて、いつかは、警戒を解く時もあるだろうと、思いもする。乱暴なと思うようだが、気の毒で、体裁よく、慰め申し上げる。
姫は、こんなお心とは思いもよらず、非常識なほど、親しくしていましたのに、喪服の袖の色など、見てしまう思いやりの無さに、私自身の、至らなさも、良く解ります。あれこれと、気の休まることもなくて」と、恨み、考えもなく、不断のままでいられた、墨染の火影の下の姿を、とても、きまり悪く、悪いことと、困っていらっしゃる。
薫は、いやいや、こうまで思いとは、何か訳でもと、気になり、申し上げようもない。袖の色を言い出しなさるのは、ごもっともですが、この年月、ずっと御覧いただいて来た、私の熱心に免じて下されば、それくらいな、気づかいをしなければならぬほど、今初めてのことのように、お考えにならねばならないのか、どうか。せずともよい、ご分別です。と言って、あの琴の音を、耳にした有明の月影から、はじめて、折あるごとに、寄せる思いの、抑えがたくなっていた、有様を、綿々と申し上げるので、恥ずかしいことだった、と、嫌な気がして、こんな気持ちを持たれるのに、知らぬふりで、真面目腐っていらしたのだ、と聞きながら、思うことも、多いのである。