もののあわれについて917

御かたはらなるみじかき几帳を、仏の御方にさしへだてて、かりそめに添ひふし給へり。名香のいとかうばしくにほひて、しきみのいとはなやかに薫れるけはひも、人よりはけに、仏をも思ひきこえ給へる御心にて、わづらはしく、すみぞめの今さらに、をりふし心いられしたるやうに、あはあはしく、思ひそめしにたがふべければ、かかる忌なからむ程に、この御心にも、さりとも少したわみ給ひなむ、など、せめてのどかに思ひなし給ふ。秋の夜のけはひは、かからぬ所だに、おのづからあはれ多かるを、まして峰のあらしも籬の虫も、心細げにのみ聞きたさる。常なき世の御物語に、時々さしいらへ給へるさま、いと見所多くめやすし。いぎたなかりつる人々は、「かうなりけり」とけしきとりて、みな入りぬ。




お傍にある、低い几帳を、仏様の方へ立てて、隔てとして、少しばかり、物に寄りかかり、横になっていらっしゃる。仏前のお香が、とても濃く匂い、しきみの強い香りがする様子も、人一倍、仏を信じているお心ゆえに、気になって、喪中の今になり、折あしく、気がせいたように、軽々しく、心に決めたことと、違ってしまうので、こうした忌が明けた頃に、このお気持ちも、いくら何でも、少しは緩むだろうし、など、努めて、のんきに考えようとする。
秋の夜の、気配は、こんな所でなくても、自然に哀れを催すものだ。まして、峰の嵐も、垣根の虫も、心細く、耳に響くばかりである。無常なこの世を論じるのに、時々お答えになるが、見事なもので、申し分ない。
眠たげな女房は、さてはと、様子を察して、皆、奥へ入ってしまった。




宮の宣ひしさまなど思しいづるに、げに、ながらへば心のほかにかくあるまじき事も見るべきわざにこそは、と、物のみ悲しくて、水の音に流れそふここちし給ふ。




父宮が、仰せになったことなどを、思い出すと、本当に、生きながらえると、思いがけない、このように、あってはならないことも、見なければならないものだと、しきりに悲しくなって、水の音と一緒に、涙がとめどなく、流れる気がするのである。




はかなく明け方になりけり。御供の人々起きてこわづくり、馬どものいばゆるおとも、旅のやどりのあるやうなど人の語るを思しやられて、をかしく思さる。光見えつる方の障子をおしあけ給ひて、空のあはれなるをもろともに見給ふ。女も少しいざりいで給へるに、程もなき軒の近さなれば、しのぶの露もやうやう光見えもて行く。かたみにいとえんなるさまかたちどもを、薫「なにとはなくて、ただかやうに月をも花をも同じ心にもてあそび、はかなき世のありさまを聞こえ合はせてなむ、過ぐさまほしき」と、いとなつかしきさまして語らひ聞こえ給へば、やうやう恐ろしさもなぐさみて、姫君「かういとはしたなからで、物へだててなど聞こえば、まことに心のへだてはさらにあるまじくなむ」と、いらへ給ふ。




あっけなく、明け方になった。
御供の人々が起きて、咳払いし、馬がいななく声も、旅先の宿の様子など、人の話したことを、こうかと思いやらて、面白く思う。光の差してきた方の障子を、押し開けて、空のあはれなる景色を、ご一緒に御覧になる。女も、少しにじり出てきたが、奥行きのない軒先は、すぐそこなので、しのぶ草の露も、次第にきらめき出すのが見える。お互いに、美しい顔や姿を、薫は、何という事もなく、ただこのように、月を花を、一緒に楽しみ、儚い世の中の有様を、語り合い、過ごしたいもの、と、とてもやさしい態度で、お話し申し上げると、次第に、恐ろしさも和み、姫は、こんな、きまりの悪い風ではなく、物越しなどで、申し上げるのでしたら、本当に、隠し立ては、少しもいたしません。と、お答えになる。




明くなりゆき、むら鳥の立ちさまよふ羽音近くきこゆ。よ深きあしたの鐘の音かすかにひびく。姫君「今だに。いと見苦しきを」と、いとわりなく恥づかしげにおぼしたり。薫「ことあり顔に朝露もえ分け侍るまじ。また、人はいかがおしはかり聞こゆべき。例のやうになだらかにもてなさせ給ひて、ただ世にたがひたる事にて、今よりのちもただかやうにしなさせ給ひてよ。よにうしろめたき心はあらじと思せ。かばかりあながちなる心の程も、あはれと思し知らぬこそかひなけれ」とて、いで給はむのけしきもなし。姫君「あさましく、かたはならむ」とて、「今よりのちは、さればこそ、もてなし給はむままにあらむ。けさは、また聞こゆるに従ひ給へかし」とて、いとすべなしと思したれば、薫「あな苦しや。あかつきの別れや、まだ知らぬことにて、げにまどひぬべきを」と嘆きがちになり。にはとりも、いづかたにあらむ、ほのかにおとなふに、京思ひ出でらる。


山里の あはれ知らるる 声々に とりあつめたる あさぼらけかな

女君
鳥のねも 聞こえぬ山と 思そしを 世の憂きことは たづね来にけり

障子口まで送り奉り給ひて、よべ入りし戸口寄り出でて、臥し給へれど、まどろまれず。なごり恋しくて、いとかく思はましかば、月ごろも今まで心のどかならましや、など、帰らむことももの憂く覚え給ふ。




空が白み、群れ鳥の飛び交う羽風が、すぐそこに聞こえる。朝いちばんの鐘の音が、かすかに響く。
姫は、せめて今の内に。みっともないことです。と困っ切って、恥ずかしく思うのである。薫は、深い仲みたいな顔で、朝露を踏み分けたりできそうも、ありません。それに、誰彼が、どうしたという御事と、思いますことか。普通の夫婦のように、穏やかに、扱って下さり、ただ普通と違ったところで、これからも、後も、ただこんな風に、お相手だけはして下さい。決して、ご心配をかける気は、ないと思い下さい。こんなに熱心になる、私の気持ちも、可哀そうと解って下さらなければ、何もなりません。と言って、出ようとなさる様子もない。姫は、酷いこと。見苦しいでしょう。と、これから先は、それでしたら、仰せの通りにいたしましょう。今朝だけは、お願いしていますように、してください。と言い、本当に、困っている様子なので、薫は、ああ、辛い。明け方の別れなんて、まだ経験したことがなくて、本当に、まごついてしまう。と、ため息が先に立つ。
鶏も、何処かで、かすかに、鳴いているので、京が思い出される。


山里を、あはれと訴える、あれこれの物の音に、何もかも、込められているような、朝方です。

女君
鳥の声も、聞こえて来ない、山の中と思っていました。世の中の辛いことだけは、尋ねて来ました。

襖の所で、お送りして、昨夜入った戸口から出て、横になったが、寝付かれない。別れた後も、恋しさが募り、前にこれほど焦がれていたら、ここ幾月の間、今日になるまで、落ち着いていただろうか。など、帰るのも、嫌になるのである。