国を愛して何が悪い190

仏教伝来は新しい文明と技術の伝来を意味したから、古代の僧たちは、経典を伝えるだけではなく、造船、架橋、農事改革、薬の施行から、様々な生産技術の伝達あるいはその実行者であった。造型面にも大きな影響を与えた。・・・
すべて国家あるいは大貴族家の保護のもとに可能なわけだが、国家仏教と貴族仏教から離脱した法然以後、鎌倉新仏教にはこうした面は全くみられない。
亀井

確かに、そのようである。
が、少数には、まだ、社会福祉事業などを行う、僧は存在していた。

更に
同時に加持祈祷や呪術からも離脱した。巫女や密教の行者、修験者などはむろんつづいていたが、法然はじめ念仏の聖たちは、病気治療とか雨乞いなどに重きをおかなかった。後々の迷信や宗教的旧習からも離脱した。・・・
底辺に苦しむ人々の心のなかに念仏をおくことによって、それらの人々の心の友になったこと。これが今までにみられない新しい要素である。この面に即して信仰は純化された。
亀井

確かに、そのようである。
法然、親鸞は、寺院さえ持つことが無かった。

伽藍仏教の否定と、伝統行事の否定である。
矢張り、これは、ただ事ではなかった。

ところが・・・
今、現在は、どうだろうか。
元に戻り、伽藍仏教が、盛んである。
勿論、衰退甚だしいが・・・

そういう面を全く離れて、念仏専修となったので、「行」も「布教」も必ずしも寺院を要せず、自由自在なかたちをとるに至った。むろん出家と在家の区別も撤去された。
亀井

こうなると、僧とは、何か、ということにもなる。
僧たちは、脅威を感じたはずだ。

その地位に対する、挑戦でもある。

だが、それゆえに、念仏僧たちの、接触範囲は、今までにない、広汎なものとなった。

あらゆる人々が、対象となったということである。
法然も、貴族関白から、武士、漁夫から、遊女にまで、教えを伝えたという。

これこそ、大衆の仏教であると、思うが・・・
既存の仏教家たちは、どんな思いで、見たのか・・・

当然、激しい、批判、批難であった。

その地位を、脅かされるのである。

法然は対話と座談の名手であったらしい。彼の言説として伝えられているものは、「和語燈録」にまとめられてあるが、聞書として傑作と言ってよい。これを見ると、あらゆる質問に答えうる博学無比の人であったことがわかる。
亀井

であるから、続々と、人々は、法然の元に通ったのである。

矢張り、大衆を味方に付けたのは、大変な力である。
雲の上の、仏教が、下々の元に、届いた。

法然には、直筆の書き物は、無い。
皆、法然の話を聞いて、弟子や、人々が書き留めたものである。

それは民衆との共同制作であるという点でさらに重要である。様々な疑問や迷いと、それに対する答えと、双方がからみあい、その対話を通じて磨かれた信仰の知恵といったものがそこに形成されたからである。
亀井

精神史から見れば、一大事である。

「もろもろの知者たちの、沙汰し申さるる観念の念にもあらず。また学問をして、念の心をさとりて申す念仏にもあらず」
一枚起請文

人々の心に、柔軟に入る込むという、方法である。

信仰はその危機意識のうちに奇蹟を求めるということも無視出来ない。
亀井

現世利益を求める人たちは、奇跡を求める。
だから、新興宗教も、多くの不思議な話をかき集める。
勿論、嘘、妄想である。

特に、病が治った・・・
最も多い、奇跡話である。

しかし法然は、信仰のうちにいかなる奇蹟をもみとめなかったということが重要だ。迷妄から完全に脱して悟るとか、簡単に往生するなどということはありえないのだ。・・・

「妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり」
「妄念をおこさずして往生せんと思はん人は、生まれつき目鼻を取り捨てて、念仏申さんと思ふがごとし」

念仏とは死に至るまで消えない妄念との格闘だ。くりかえされる挫折との戦いである。こういう強靭さと弾力性を、法然は民衆の心のうちに植え付けようとしたのである。
亀井

信仰の大衆化である。
実に、困難な試みである。
日本の精神史の中でも、この大衆化という試みは、画期的である。

鎌倉仏教の改革の最初が、法然であり、その後、続々と続いて行く。

私は、別エッセイ、神仏は妄想である、の中で、親鸞、道元、日蓮を取り上げている。
そちらを、参照ください。

その論調とは別にして、法然の存在は、空海以上のものと、思える。
空海は、まだ、大衆化していない。
日本が、仏教国と言われる、その大本は、この鎌倉仏教によると、考える。

更に、江戸時代に、国民のすべてが、仏教の寺に所属する。
つまり、檀家性である。
これが、今も、残り、更に、その檀家性が崩壊してゆく状況である。
時代は、変わるのである。