国を愛して何が悪い192

鴨長明は、30代40代と、歌と管弦に傾倒した。
歌道を、詳しく学んだことは、無名抄によって、明らかだ。

そして、40代の半ば、後鳥羽院の推挙によって、宮廷歌人となり、和歌所の寄人になって、喜んで奉仕した。

しかし、貴族の末流にすぎない、身分の低さゆえ、藤原定家等とは、同席も許されなかった。

そういう外的条件だけではなく、彼の人となりそのものが、どこかすねていて、とりつきにくい上に、実生活の上でも社交の上でも、おそらく拙い人であり、苦労しなければならいように出来ていたのではなかろうか。
亀井

「人を頼めば、身、他の有なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。」

「すべて、あらわれぬ世を念じつつ、心をなやませる事、三十余年なり。その間、をりをりのたがひめ、おのづからみじかき運をさとりぬ。すなはち、五十の春を迎へて、家を出て、世を背けり。」
方丈記

過去を回想したときの、苦り切った表情が浮かんでいる。自ら語ることが出家の動機であり、それから五年を経て日野に方丈をむすんだ。この文章の前に、周知のとおり青年時代から見聞きしてきた天変地異の有名な描写がある。実に明晰で的確な文章だ。
亀井

その箇所は、省略する。

ただ、その描写は、どこかに、冷たいものを感じる。
根底にあるのは、無常観であるが、長明は、徹底した観察者の立場に立ち、自分が、その中で翻弄されることはなかった。
また、それを発心の動機とは、していない。

半生を通して追い詰められたあげくに得た冷厳な「眼」というものがあったにちがいない。老年に達するにつれて、それが次第に不気味なものに化して行ったようである。たとえば鎌倉に下向して実朝に会い、そのとき頼朝の墓に供養したときの歌一種が吾妻鑑にのこっている。
亀井

草も木も 靡きし秋の 霜消えて 空しき苔を 払ふ山風

平家滅亡から、源氏の制覇、そして、頼朝の死と、死後の鎌倉幕府の暗闇を見た、その虚無感が出ている歌である。

これが「歴史家」長明である。鎌倉下向は建歴元年十月で、方丈記を書いた前年に当たる。

さて、
最も力をこめて描いているのは方丈の悦楽であり、自己一身だり自由である。そこえ筆を集中してゆくための過程として天変地異や一身の不遇を語っているようなものだ。「自我」へ無常を奉仕させているようなものだ。方丈記とは異端の数寄者のエゴイズムの書である。苦労人のもつ冷たさとそれは表裏している。
亀井

ただし、長明の、次の書である、発心集では、仏教説話集であり、趣が全く違うのである。

「自心をはかるに、善を背くにも非ず。悪を離るるにも非ず。風の前のなびき安きがごとし。また浪の上の月の静まりがたきに似たり。いかにしてか、かく愚なる心を教へんとする。」

数寄者気取りが無い。

或る意味で彼は「平凡」に還ったのである。
亀井

「道のほとりのあだ言の中にも、我が一念の発心を楽しむ」と、敬虔な心で死の支度を始めたらしいのである。「楽しむ」は「願う」の意味である。
亀井

「今も昔も、実に心を発せる人は、かやうに古郷をはなれ、みずしらぬ処にて、いざきよく名利を捨てて、失する也」

結果、長明は、平凡に戻り、そして、平凡に出家者となり、平凡に、隠者となった。

隠者の「隠」を、もしその通り徹底したら、どいうことになるか。行方不明になることである。誰からも知られないままに失せることだ。鎌倉時代の修行者、念仏僧のあいだで、これは重要な心がけであったらしい。信仰自体にひそむ虚栄と惰性をおそれたからである。
亀井

では、現在は、どうであるのか・・・
もう、僧侶たちには、そんなものは、皆無である。

信仰自体の、虚栄も、惰性も、何のそのである。
虚栄と惰性に、溺れている。

仏教説話の多くが、無名の人々の、信仰を伝えている。
本人は、行方不明のまま失せたが、誰かが、その姿に感動し、それとなく、繰り返し、伝えて、説話集の何かに、語られるのである。

それを、また、修行者は、尊んだ。
つまり、鎌倉仏教の黎明期は、そのようであったということだ。

長明も、その通り、数寄者としてのエゴイズムを捨てて、老年の静けさの中での、転身が行われたと言う。

方丈記から、発心集への、転身である。
精神史から見れば、この発心集の方が重要である。

兎も角も、鎌倉時代の精神は、発心と、出家とが、テーマである。
そして、一般大衆にも、仏教が拡散したということである。

現在まで続く、新仏教が、この時代に出来たということは、格別である。
何せ、乱世である。
そして、それが、戦国時代まで、続く。

仏教の、変遷は、奈良六宗から、天台、真言と、そして、鎌倉仏教となる。
以後、新しい仏教は、出ない。

江戸末期まで、待つことになる。
だが、それらは、皆々、新興宗教の域である。

乱世は、宗教が起こる。
では、現代の宗教は、新興宗教が、また、花盛りである。
つまり、現在が、乱世なのである。