日々の言い分215

靖国神社について、書く。

色々な人の、著書を読んだ。
右から、左の論者たち、そして、無智な人たちのお話し等々。

そして、私が行き着いた、結論めいたことである。

昭和天皇の行為に、注目した。
つまり、A級戦犯が、合祀されてから、天皇の参拝はなくなった。

だから、ダメだという、訳ではないが・・・
何故、昭和天皇は、そのように、したのかを、考えた。

昭和天皇は、別エッセイ、天皇陛下について、にも、書いているが、政治的感覚の鋭い人である。

それは、つまり、日本が、サンフランシスコ講和条約を結び、東京裁判の判決を受諾したということに、意味がある。

天皇は、日本が敗戦したという事実を、重んじたのである。
だから、そこで、戦犯とされた人が、また、軍国主義と言われた人の、合祀がなされたのであれば、更に、憲法にて、象徴天皇とされた以上は、事を荒立てることは、やめた方がいいとの、判断だと、考えた。

海外からの、批判、批難ゆえではない。

更に、日本には、戦犯という罪状はないのであるが・・・

天皇におかれては、広く見渡されての、判断である。

皇族におかれても、千鳥ヶ淵墓苑のみに、伺う。
政教分離の憲法ゆえである。

政治的な事柄に、関わらないという、意志である。

今上天皇も、然り。
政治的に、問題になり得ることは、お避けになるのである。

国内でも、仏教、キリスト教などの人たち、左翼系の人たちが、云々する。

靖国神社は、神道である。
ここからは、私の意見を言う。

神道とは、今は、神社神道を言う。
つまり、宗教である。

私は、古神道、いや、それ以前の、縄文神道、古道である。
神社神道に対しては、別次元なのである。

だから、戦没者の追悼慰霊は、私の方法で、執り行う。

靖国神社は、行きたい人は、行くべきであり、行きたくない人は、行かなくて、いいのだ。

天皇陛下は、毎年、8月15日の、武道館での、戦没者追悼慰霊の儀式に、参加される。それが、最も理想的である。

本来は、神道の司祭である、天皇は、広く見渡して、宗教色の濃い、靖国には、参らないという、行為である。
更に、靖国は、天皇の持ち物なのだが・・・

ご自身は、出向かないが、勅使を遣わしている。
心の折れる、行為である。

さて、世界の何処の国でも、戦没者の慰霊の場がある。
日本は、その一つに、靖国がある。

世界の常識である。
そして、殺した人たちの、慰霊はしない。
靖国も、同じ。

読んだ本の中には、靖国は、戦没者のみを慰霊するが、植民地にして、殺した人たちは、慰霊しないと、書く人もいたが・・・
当たり前である。

当時は、敵だった。

だが、日本の軍人は、敵でも、武士道精神を持って、対処した事例が多い。

私は、千鳥ヶ淵墓苑に出向くと、靖国に、参拝する。
だが、神道の方法ではない。
拝礼だけである。

そして、お休み処で、ソフトクリームとか、ソバを食べる。
それが、楽しみだから。

私は、激戦地に出掛けて、追悼慰霊をする。
その、出掛ける行為が、すでに、追悼慰霊なのである。

だが、出掛けられない人は、靖国に行く。それで、いい。

首相の参拝も、陛下に習い、行かない方がいいと、思う。

中国、韓国の、言い分を聞いて、行かないのではない。
天皇陛下に、習うのである。

東アジアと、キリスト教白人だけは、日本の慰霊のあり方に、色々と言うが・・・
本来は、内政干渉なのである。

戦没者の、追悼慰霊で、日本のように、言われる国は、皆無である。
何故か・・・

あの、東京裁判史観というものが、今も、生きていると、考える。
彼らも、散々に、殺したはずであるが・・・

殺した人の、慰霊は、行わないのである。
当然だ。
それが、常識である。

しかし、日本の場合は、日本人でも、殺した人の慰霊は、などと、言うのである。

色々と、読んだが、大半が、霊感の無い者が、書いている。
つまり、議論のための、議論なのである。

言論の自由・・・
日本は、素晴らしい国である。

これが、中国、韓国ならば・・・
議論するのも、無理である。