性について280

日本における、性同一性障害の状況を、俯瞰する。

まず、医学界である。
1997年、日本精神神経学会が、性同一性障害の治療に関する、答申を発表する。

1998年には、埼玉医科大学で、公式に、初めての性別適合手術が行われた。
その後、岡山大学、更には、札幌医科大学、関西医科大学、大阪医科大学でも、治療への取り組みが行われている。

主要医療機関で、現在までに、おおよそ、3000人が、性同一性障害としての、治療を受けている。

また、学会では、1999年に、GID、性同一性障害研究会が発足し、その後、毎年学術集会が開催されて、300名を超える、出席者がいる。

ちなみに、私も、それらの相談を受けたことがある。

21歳の青年で、結局、適合手術を受けるというところまで、話が進み、その後は、医者に任せた。

さて、二千年に、神戸で、アジア性科学学会が開催され、海外の専門家を交えて、GIDに関する、シンポジウムが行われた。

2003年には、埼玉医科大学の、原科孝雄会長が、「性、その多様なるもの」をテーマに、日本性科学会開催する。
多くの学会で、取り上げられるようになったのである。

ちなみに、私がタイへ出掛けていた際も、世界の研究者が集い、GIDに関する、討論会などを開催していた。
タイは、その手術が、世界的に認められている国である。

社会的には、2001年から、2002年にかけて、TBSのドラマ、「3年B組金八先生」にて、性同一性障害がテーマとして、取り上げられた。

2002年に、競艇選手の、安藤大将選手が、「自分は性同一性障害だ」と、カミングアウトしたことも、大きなニュースとなった。

2003年、性同一性障害の当事者である、川上あやかさんが、世田谷区議選に立候補して、当選するという、ニュースで、また、その存在が、認知された。

それ以後は、様々な形で、取り上げられるようになり、戸籍の取り扱いに関しても、大きな動きがあった。

2003年、7月16日、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が、公布された。

国会議員レベルでの、最初の大きな動きは、2000年、9月、南野知恵子参議院議員が、自民党内に、「性同一性障害勉強会」を発足させたことから、始まる。

そのきっかけは、8月に神戸で行われた、性科学シンポジウム「性転換の法と医学」であった。

その、シンポジウム後に、医師、法律学者等に呼び掛ける形で、勉強会が発足したのである。

これを受けて、2002年には、自民党のみならず、公明党、民主党にも、同様の勉強会が発足した。

それにより、上記の法律の、公布になった。

さて、私の感想は、それに対する、偏見が、和らいだということである。
そして、悩む人のために、道が開かれたということ。

悩みにある人に向けて、性同一性障害30人のカミングアウト、という著書から、少し紹介する。

まず、女性から男性へと・・・

一例
僕が、性別の違和感を感じはじめたのは五、六歳の頃からです。
幼稚園に入って、トイレは男の子と女の子が別々じゃあないですか、男の子は立ちションして女の子は座ってする。自分は何で立ちションできる体じゃないんだろう、と。それが最初ですね。
中略

中学になると、女子はスカートをはかなければいけないと知って、「中学に入るまでに死ぬんだ」と誓いました。もちろん、自殺なんてできませんでしたが。学校には毎日ジャージで通いましたね。始業式や終業式などの特別な日はなるべく制服着て、あとは一日中ジャージで過ごしました。
先生には、「卒業式は、制服で来い」って言われましたけどね。中学になると、男女が妙に意識するようになるじゃないですか、隔たりができるっていうか。その辺りから男の子とうまく遊べなくなりました。
クラブはバレー部で、着替えとか女子と一緒じゃないですか、当然だけど。ただ、まわりを意識するというより、自分の体を見られるのが嫌でしたね。だんだん女性化していくからだがすごく嫌でした。胸も出てくるし、生理は中二ではじまりました。ショックというか、驚きというか。・・・

それから、高校に入っても、その違和感が続く。

卒業後に、カー用品店に入社する。
しかし、人付き合いがうまくできずに、二カ月で退社する。
それから、アルバイトをはじめるが、二十歳の時、部屋に引きこもるようになる。

自分は一体何なのか、何に関しても何が何だかわからずに、この状況を誰にも話せませんでした。しかし、バイトをやめたことを誤解されていたので、姉や親戚に話し、精神科に通うことになりました。精神科ではうつ病と診断され、安定剤をもらい飲みました。しかし、一向によくなりません。・・・

まだ、GIDという言葉を知らないのである。

精神科に通うことを止めて、一時的にパニック状態に陥る。
今度は、大学病院の精神科を受診する。そこの、心理療法士から、性同一性障害ではないかと、言われて、専門医を紹介される。

同時に、虎井まさ衛さんの本を紹介されて、そこに、自分と同じだとの、共感を持つ。

こうして僕は、ようやく自分が何者なのかを獲得したのです。

長い道のりである。
これは、大変に、心の負担となり、苦悩したことであろうと、察する。

それから、彼女は、いや、彼は、男としての、歩みを始めるのだ。
そういう人を理解するというのは、とても、難しい。
少しの知識があればと、思うが・・・
全く、その素養のない人は、ただ、戸惑うばかりである。

だが、これからは、社会も容認し、更には、身近な人たちも、認知するだろう。それが、救いである。