もののあわれについて925

あけぐれの程、あやにくに霧りわたりて、空のけはひ冷やかなるに、月は霧にへだてられて、木の下も暗くなまめきたり。山里のあはれなるありさま、思ひいで給ふにや、匂宮「このごろの程に、必ずおくからし給ふな」と語らひ給ふを、なほわづらはしがれば、

匂宮
をみなへし 咲けるおほ野を ふせぎつつ 心せばく やしめをゆふらむ

と、たはぶれ給ふ。


霧深き あしたのはらの をみなへし 心をよせて 見る人ぞみる

なべてやは」など、ねたまし聞ゆれば、匂宮「あなかしがまし」と、はてはては腹立ち給ひぬ。




明け方の、うす暗い時分、折あしく、一面に霧がかかって、空は、冷え冷えと、月は、霧にさえぎられて、木の下も、ほの暗く、優しい風情が漂う。山里の、身に染む有様を、思い出すのか、匂宮は、近々に、必ず連れて行ってください。と、お頼みになる。が、矢張り、迷惑そうにするので、

匂宮
女郎花の咲く、大野を、人を入れまいとして、何故、心狭く、縄を張るのか。

と、冗談を言う。


霧の深い、明日の原の女郎花は、深く思いを寄せる人になら、会うだろう。

めったなことでは。などと、嫌がらせを申し上げると、匂宮は、いや、うるさいこと、と、最後は、腹を立ててしまった。




年頃かく宣へど、人の御ありさまを、うしろめたく思ひしに、かたちなども見おとし給ふまじく、おしはからるる心ばせの、近おとりするやうもや、などぞ、あやふく思ひわたりしを、何事もくちをしくは物し給ふまじかめり、と思へば、かの、いとほしく、うちうちに思ひたばかり給ふ有様も、たがふやうならむも、なさけなきやうなるを、さりとて、さはた、え思ひ改むまじく覚ゆれば、ゆづり聞こえて、いづかたのうらみをも負はじ、など下に思ひ構ふる心をも知り給はで、心せばくとりなし給ふもをかしけれど、薫「例の軽らかなる御心ざまに、物思はせむこそ心ぐるしかるべけれ」など親がたになりて聞こえ給ふ。匂宮「よし、見給へ。かばかり心にとまる事なむまだなかりつる」など、いとまめやかに宣へば、薫「かの心どもには、さもやとうちなびきぬべきけしきは見えずなむ侍る。仕うまつりにくき宮づかへにぞ侍るや」とて、おはしますへー゛きやうなど、こまやかに聞こえ知らせ給ふ。




ここ何年も、このようにおっしゃるが、どんなお方か、と、気がかりに思っていた。顔立ちなども、馬鹿になさるまい。想像される人柄も、予想以下かもしれないなど、危なく思っていたが、何事も、不満なところは、ないらしいと、思うので、あの、気の毒に、ないないで、お計らいのことにも、背いたようになるとは、思いやりがないようだが、そうかといって、そのように考え直すということもなく、思われるので、お譲り申して、どちらの恨みも、負うまい、などと、思案を巡らす本心も、ご存じなく、心狭く、と、受け取られるのも、おかしいが、薫は、いつもの、浮ついたお気持ちで、悩ませるのは、可哀そうです。などと、親代わりになり、申し上げる。
匂宮は、いいよ、見てて御覧。こんなに心惹かれることは、初めてなのだ。などと、本当に、真顔でおっしゃるので、薫は、あの人たちは、それならと、承知しそうな様子は、見えませんのです。骨の折れるご奉公でございます。と言って、お出でなさる時の、注意など、細々と、お教えするのである。

ここで、薫は、匂宮に、中の宮を与える気になるのである。




廿八日、彼岸の果てにて、よき日なりければ、人知れず心づかひして、いみじくしのびて率て奉る。きさいの宮など聞こしめしいでては、かかる御ありきいみじく制し聞こえ給へば、いとわづらはしきを、せちに思したる事なれば、さりげなく、と、もて扱ふもわりなくなむ。ふな渡りなども所せければ、ことごとしき御宿りなども借り給はず。そのわたりいと近き御庄の人の家に、いとしのびて、宮をばおろし奉り給ひて、おはしぬ。見とがめ奉るべき人もなけれど、とのい人はわづかに出でてありくにも、けしき知らせじとなるべし。




二十八日は、彼岸明けで、良い日である。こっそりと、そのつもりで、酷く人目を避けて、ご案内する。
后の宮などが、お耳にしては、こういう忍び歩きなどは、酷く咎められるので、やっかいなのだが、たっての、お望みのことなので、目立たぬように、と、お世話するのも、大変なことである。
船を使うことは、大事なので、大げさな、お宿なども、借りない。あの辺にすぐ近い、御庄の人の家に、人目を避けて、宮をお降ろしになさり、いらっしゃった。
見咎め申す者もいないが、宿直人は、少し外をうろうろするので、そういう者にも、様子を知らせまいと、いうことらしい。