そして、また、今は、書き始めた。
まだまだ、書くことは、沢山ある。
何せ、仏教も、キリスト教も、延々と終わらない。
イスラムに関しては、別エッセイ、イスラムに書いている。
仏教は、特に、大乗仏教に関して、書くとこが多い。
例えば、日本の仏教に影響を与えた、天台宗の中の、法華経である。
それは、日蓮宗としても、特別な経典である。
しかし、その経典が、まさか、東方キリスト教の影響により、書かれたもであることは、知らない、らしい。
大乗仏典は、多くは、仏陀の教えとは、ほど遠いものである。
いや、上座部仏教も、怪しい。
本当の、仏陀の言葉は、ダンマパダという、初期経典に書かれているが、何のことはない、言葉の羅列である。
読む者が、勝手に解釈する。
その、解釈である、問題は。
大乗仏教も、解釈なのである。
仏陀の、思想の解釈である。
仏陀の教えではない。
そこが、味噌である。いや、糞かもしれない。
更に、サンスクリット語を、漢訳していること、それが、また、問題である。
つまり、訳した人の、思い、思想が入る。
日本仏教の場合は、読経するのに、漢訳のままに、汚い音で、読経する。
それだけでも、罪なことである。
何せ、日本の精神、つまり、ことばは、清音なのである。
漢訳した仏典を、漢訳のままに、読経するという、狂い。
ギャギュギョ・・・
濁音が多い。
あんなもので、霊位を、慰めることは出来ない。
霊界では、あれは、雑音である。
さて、法華経であるが、もうすでに、その文献を用意して、書く段階にある。
書き始めると、延々と続く。
そして、それを、読む、法華経愛好家たちの、狼狽が見える。
しかし、キリスト教徒もそうだが、信じる人たちは、騙されているので、真実を聞いても、無視する。
真実より、嘘でも、妄想でも、信じたものが強い。
その、強さが、信仰の強さと勘違いするのも、宗教の特徴である。
何故、騙されるのか・・・
人間は、大脳化してから、幻想、妄想を、信じるようになった。
それは、不安だからである。
単なる、不安を、幻想、妄想に身を任せると、安心するという、癖をつけた。
哀れなものである。
更には、その教えのために、命を掛けると言う事までする。
昔、キリシタン弾圧というものがあった。
本当は、日本を守るために、キリシタンを殺したのである。
宣教師たちは、日本を植民地にしようとした、のである。
大航海時代も、宣教師たちは、侵略の手伝いをした。
とても、とても、酷い状態であった。
何せ、先住民族などを、虐殺して、いいと、虐殺を促したのである。
九州も、彼らに乗っ取られるギリギリだった。
それを見た、秀吉が、あわてて、禁教令を出したのだ。
つまり、弾圧ではなく、守りである。
ローマ法王直属の、植民地として、日本を貶めようとしていたのである。
カトリック教会が、歴史的にやってきたことは、単なる、侵略行為である。
と、いうことで・・・
まだまだ、それらの、本性を書き続けなければならない。
法華経に戻ると、そんな嘘、偽りの経典を、何と、仏説と言う馬鹿者たちがいる。
それらに、真実を知らせる。
勿論、信じないだろう。
何せ、すでに、洗脳されているのだ。
天台宗、そして、鎌倉仏教から、延々と、洗脳させている。
天台宗は、仏教、特に、中国仏教の、デパートのようである。
そして、鎌倉仏教は、仏教ではなく、単なる、個人の考え方を、教えにしたものである。
ご苦労なことだが、今は、それらは、皆々、事実が公開されている。
それを、私は、紹介するだけである。
それで、神仏は妄想である、のだ。
何一つ、根拠がないのである。
勿論、宗教と名の付くものは、すべてが、そうである。
更に、現在の宗教団体を見れば、見渡せば、皆々、商売なのである。
最も、手軽に、金を得られる、商売と化している。
それに対しては、誰も反論しないだろう。
妄想を金に換える、宗教という、商売を断罪する。
株式会社になるというなら、それはそれで、良いことである。
だが、税金を払いたくないので、法人としている。
実に、あさましい、団体である。