日々の言い分227

神仏は妄想である、を延々と書き続けている。
そして、また、今は、書き始めた。

まだまだ、書くことは、沢山ある。
何せ、仏教も、キリスト教も、延々と終わらない。

イスラムに関しては、別エッセイ、イスラムに書いている。

仏教は、特に、大乗仏教に関して、書くとこが多い。
例えば、日本の仏教に影響を与えた、天台宗の中の、法華経である。

それは、日蓮宗としても、特別な経典である。
しかし、その経典が、まさか、東方キリスト教の影響により、書かれたもであることは、知らない、らしい。

大乗仏典は、多くは、仏陀の教えとは、ほど遠いものである。

いや、上座部仏教も、怪しい。
本当の、仏陀の言葉は、ダンマパダという、初期経典に書かれているが、何のことはない、言葉の羅列である。

読む者が、勝手に解釈する。
その、解釈である、問題は。

大乗仏教も、解釈なのである。
仏陀の、思想の解釈である。

仏陀の教えではない。
そこが、味噌である。いや、糞かもしれない。

更に、サンスクリット語を、漢訳していること、それが、また、問題である。
つまり、訳した人の、思い、思想が入る。

日本仏教の場合は、読経するのに、漢訳のままに、汚い音で、読経する。
それだけでも、罪なことである。

何せ、日本の精神、つまり、ことばは、清音なのである。
漢訳した仏典を、漢訳のままに、読経するという、狂い。

ギャギュギョ・・・
濁音が多い。
あんなもので、霊位を、慰めることは出来ない。

霊界では、あれは、雑音である。

さて、法華経であるが、もうすでに、その文献を用意して、書く段階にある。
書き始めると、延々と続く。

そして、それを、読む、法華経愛好家たちの、狼狽が見える。
しかし、キリスト教徒もそうだが、信じる人たちは、騙されているので、真実を聞いても、無視する。

真実より、嘘でも、妄想でも、信じたものが強い。
その、強さが、信仰の強さと勘違いするのも、宗教の特徴である。

何故、騙されるのか・・・
人間は、大脳化してから、幻想、妄想を、信じるようになった。
それは、不安だからである。

単なる、不安を、幻想、妄想に身を任せると、安心するという、癖をつけた。
哀れなものである。

更には、その教えのために、命を掛けると言う事までする。

昔、キリシタン弾圧というものがあった。
本当は、日本を守るために、キリシタンを殺したのである。

宣教師たちは、日本を植民地にしようとした、のである。

大航海時代も、宣教師たちは、侵略の手伝いをした。
とても、とても、酷い状態であった。
何せ、先住民族などを、虐殺して、いいと、虐殺を促したのである。

九州も、彼らに乗っ取られるギリギリだった。
それを見た、秀吉が、あわてて、禁教令を出したのだ。

つまり、弾圧ではなく、守りである。

ローマ法王直属の、植民地として、日本を貶めようとしていたのである。

カトリック教会が、歴史的にやってきたことは、単なる、侵略行為である。

と、いうことで・・・
まだまだ、それらの、本性を書き続けなければならない。

法華経に戻ると、そんな嘘、偽りの経典を、何と、仏説と言う馬鹿者たちがいる。
それらに、真実を知らせる。
勿論、信じないだろう。

何せ、すでに、洗脳されているのだ。

天台宗、そして、鎌倉仏教から、延々と、洗脳させている。
天台宗は、仏教、特に、中国仏教の、デパートのようである。

そして、鎌倉仏教は、仏教ではなく、単なる、個人の考え方を、教えにしたものである。

ご苦労なことだが、今は、それらは、皆々、事実が公開されている。

それを、私は、紹介するだけである。
それで、神仏は妄想である、のだ。

何一つ、根拠がないのである。
勿論、宗教と名の付くものは、すべてが、そうである。

更に、現在の宗教団体を見れば、見渡せば、皆々、商売なのである。
最も、手軽に、金を得られる、商売と化している。

それに対しては、誰も反論しないだろう。

妄想を金に換える、宗教という、商売を断罪する。

株式会社になるというなら、それはそれで、良いことである。
だが、税金を払いたくないので、法人としている。

実に、あさましい、団体である。