国を愛して何が悪い195

「西行はおもしろくて、しかも心も殊に深く、ありがたくいできがたき方も共に相兼ねて見ゆ。生得の歌人とおぼゆ。おぼろげの人、まねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり。」
後鳥羽院御口伝

これは、西行に対する、絶賛の言葉だ。
隠岐島にあり、西行の山下集に、深く心を動かされたと思う。

また、同時に配流となった、土御門院、順徳院の歌にも、あはれ深いものがある。
すべて、新古今以外の世界である。

美を求め、極限まで追求した、新古今の代表は、藤原定家である。
父の、俊成は、古今へ帰れと言ったが、古今の中の、どの時代を目標とするかにより、微妙な差が出てくる。

俊成は、貫之選者等を念頭においた風だが、定家は、貫之について、
「むかし貫之、歌の心たくみに、たけおよびがたく、ことばつよくすがたおもしろき様をこのみて、余情妖艶の躰をよまず・・・」
近代秀歌
と、言った。

余情妖艶の躰を読まず・・・とは、つまり、古今での六歌仙時代の作品を、規範と認めていたことが、解る。

更に、古今と、伊勢物語を挙げているが・・・

父の、俊成は、源氏物語を必読の書としたが、その物語の中の、何に、感動したのか、解らないのである。
ただ、その中に、あはれ、幽玄の様を、感得したのだろう。

定家も、勿論、源氏物語を読んだ。だが、伊勢物語を特に、掲げた。
伊勢の、業平の歌に対して、
「ふかく心をいれんとてねぢすぐす」ことが業平には、無い。

つまり、技巧をあらわにすることはない。
しかし、余情妖艶の趣がある。

定家は、それを好んだ。

春の夜の 夢の浮橋 とだえして 嶺にわかるる 横雲の空

梅の花 匂ひをうつす 袖の上に 軒もる月の かげぞあらそふ

消えわびぬ うつろふ人の 秋の色 身をこがらしの 森の下露

松山と 契りし人は つれなくて 袖こす浪に のこる月かげ

さむしろや 待つ夜の秋の 風ふけて 月をかたしく 宇治の橋姫

「毎月抄」は定家、59歳の円熟期である。

業平の歌とは似てもつかぬものである。
亀井

巧緻無比な美の造型に凝ることであったと言っていいだろう。業平のような情熱の奔放な吐露はない。ああいう自然さからはすでに離れてしまった自覚のもとに、その「余情妖艶」を虚構のかぎりをつくして再現しようとしたのだ。彼の言う「心」とは虚構の極致のことである。
亀井

その、虚構の極致に、定家の歌の、価値があるとしたら・・・
矢張り、歌詠みは、それぞれなのである。

その評価については、人それぞれと、私は言う。
つまり、読者、読む側の問題になる。

それは、散文などでも、そうである。
勿論、それを分析することは、否定することではない。

幻想的な余情の構成に、いかに心を砕いたかは歴然としている。上句に対して、
下句には奇想を凝らし、それが上句へ連鎖反応を起こすような、一人二役の連歌的発想をこころみている点も興味深い。
亀井

そして、言葉の魔術による魅力の創造に、憑かれた人なのである。
つまり、定家は、定家流の歌詠みをしたということだ。

それを真似ることは、悪いことではない。
最後は、好き嫌いの問題になる。

ただ、この時代性を、鑑みれば、定家のみならず、他の芸術を見れば、定家と同じく、技巧を凝らした人たちは、多く存在した。

歌と造型とはむろん異質の世界だ、しかし歌の素材が「文学的なもの」に限られるわけはなく、あらゆる造型からも暗示を得たであろう。王朝から中世へかけて、藤原の栄華の生んだこうした美意識をめぐって、「精神の単一の歴史」がそこに成立するとすれば、定家をその中において考えてすこしも差し支えあるまい。
亀井

話は、少し飛躍するが・・・
例えば、茶の湯の心とは、と、歌に、その心を観た茶の湯者たちも、多い。
定家の歌も、その一つだった。

虚構であっても、その風景に心を寄せて、茶の湯を表現したのである。

わび茶の成立も、万葉、源氏物語からなる、もののあはれ、により、生成発展したものである。

日本の、文化の伝統は、すべて、もののあはれ、に至る道になる。
そして、歌道が、その手本だった。

別エッセイ、もののあわれについて、を参照ください。

亀井は、定家の歌を、王朝の夕映えと、見ている。
つまり、時代性、と、時代精神である。

次の時代に受け継がれるものである。
無駄なものは、一つもない。

新古今の選者であった、定家は、西行の歌を選ぶにあたり、相当に、苦労したはずである。
違い過ぎるのである。

だが、後鳥羽院が、強く推薦した。
定家の歌風からすれば、大半は認められない、歌の数々である。

ここに、この時代の、面白さもあると、私は、思っている。

もう一人は、式子内親王である。
この比較は、実に面白い。