国を愛して何が悪い197

平家物語が、誰によって書かれたかは、不明である。
長い年月の間に、琵琶法師によって、語られたが、様々な人たちを通して、また、聞き手の好みによって、変化したであろうと、思われる。

共同制作的性格を、持つものとの認識を私は、持つ。

ただし、手掛かりがある。
徒然草の、第二百二十六段である。

「後鳥羽院の御時、信濃の前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御議論の番にめされて、七徳の舞ふたつ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心うき事にして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鑑和尚、一芸あるものをば下部までも召しおきて、不便にせさせ給ひければ、この信濃の入道を扶持し給ひけり。
この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門のことを、ことにゆゆしく書けり。九朗半官の事はくはしく知りて書きのこせたり。蒲冠者の事は、よく知らざりけるにや、多くのことどもをしるしもらせり。武士の事、弓馬のわざは、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞かせて書かせり。かの生仏が生まれつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり」

比叡山天台座主、慈鑑に拾われて、平家物語を書くようになった、いきさつを書いている。

後鳥羽院の時代、承久の変以前とすれば、平家が、壇ノ浦で滅んでから、すでに、30年ほどが経つ。

内乱は一応終結したが、平家の落人、その子孫、あるいは、孤児になった人たちが、比叡山に遁れてきていたと、思われる。

当時の比叡山は、荘園の大地主であり、僧兵まで抱えた、一種の独立国のようであった。
宗教の聖地というより、政治的存在でもあった。

諸国の情報など、噂も、耳にする機会があっただろう。

失意の行長が、ここで耳にしたのは、雑然たる情報、資料、そして、内乱で倒れた人たちの、恨みの思い出などであろう。

たとえ彼個人だけの作ではないにしても、内乱におけるあらゆる人間の「思い嘆き」に敏感な人でなければ、平家物語は書けなかった筈だ。
亀井

しかしこの作者は同時に、内乱のうちに浮沈する人間という存在に対して、絶大の好奇心を抱いていたようである。仏道ひとすじに徹しきれない反面、自分もまた浮沈する一人間として、深い同感に生きていたように思われる。
亀井

さて、ここで、生仏という、盲人は、助手として存在していた。

東国のもので、武士に戦闘状態などを聞いて、行長にそれを提供したことは、兼好の書く通りである。

琵琶法師は、すべてを、語ったわけではない。
それぞれ、その時々に、部分的に語った。
今のように、すべてを、読むという行為ではない。

語りつつ、書きつなぐ行為が、物語を深めたと、言う。

平家物語の作者のなかには、多面的な好奇心とともに、子供のような素朴な「驚く心」のあったことを見逃してはなるまい。これは平家物語だけではなく、今昔物語をはじめ多くの説話集にもみられるところだ。
しかし十二世紀後半、保元、平治、源平合戦とつづく乱世時代に、最もあざやかに眼に映ってきたのは武士の戦う姿と、その生死への態度であったろう。その率直さに作者の眼はひたむきに向けられているのである。
亀井

死罪は平安時代を通して、長く留められていた。
保元の乱により、それが復活された。
そして、平家物語になると、平家の残党への追及は、過酷である。

平家物語の内容については、ここでは、省略する。

これは民衆による民衆の裏切りと言ってもいいかもしれない。内乱の深刻な悲劇がここにある。源平合戦が終わってから三十余年のあいだに、こうした目立たない悲劇が、くりかえし伝えられたことが察しられる。それは人々の心の底深く沈殿して、しかも永久に消えない恨みとなったであろう。
亀井

さて、物語は、無常観を強く抱かせるが・・・

それは、時代性と、時代精神である。

猛き者も、ついには、滅びぬ・・・
その時代の、無常観が支配する。

作者自身の告白めいた言葉は、平家物語からはうかがえない。ある事件の「語り」、またある人物の述懐のうちに、それとなく託したかもしれないが、それはわからないことだ。それにしてもあの突き放したような、爽快で速度ある文体はどこから来たものであろうか。
亀井

確かに、その文体は、今までにないものである。
おおよそ、五七調、七五調により、とても、スムーズに音読出来るのである。

そして、物語では、ひらがなの使用の、優美で繊細な感情の表現はない。
つまり、漢語の使用で、憤怒、憎悪、激しい戦闘の様を、現した。

それは、ひらがなと共に、調子の高い漢語の使用は、不可欠であったと見る。

和漢混載文を根本において決定したのは内乱である。人間の流転の激しさ、死の残酷さ、それは無常観を誘発したであろうが、同時にそこには意志の試練される場であり、端的な決断を迫られる場であった。
作者に即して言うならば、乱世に浮沈する不安定な自己への、それは怒気を誘発したに違いない。一切の感傷を抹殺し、特定の個人への執着をも断念しなければならぬ。おそらく作者は意識せずして自己を抹殺したのである。
亀井

無常観と、無虚観との、競合であるといえる。
そして、人間というものに対する、凝視である。

平家物語の、語りが、琵琶によって、語られたというのにも、私は注目する。つまり、内容が救いようのないものである。
それが、琵琶の音により、緩和された。

だが、私は、平家物語による、無常観が、日本人に大きな影響を与えたが、その無常観は、誤解されて受け取られていくと、言う。

常無きもの・・・とは
それが、人生なのである。
特別な思想、哲学にあるのではない。