玉砕238

日本が言うところの、大東亜戦争、アメリカの言う、太平洋戦争、世界的に言う、第二次世界大戦は、3年8カ月で、終わった。

その、3年8カ月が、日本の侵略と言っても、どれほどの、侵略行為だったのか・・・
逆に、それぞれの国に対して、民族意識を高めたことの方が、大きいだろう。

さて、戦争は終わったが、終わらないことがある。
それは、日本兵のことである。

それは、異国の地に、敗戦後も、留まり、埋もれていった兵士たちの存在である。

8月15日以降、東南アジア諸国でも、日本軍は、武装解除を行った。
そして、収容所に投降していった。

だが、その日本軍がいなくなった後、マレーは、イギリス、インドネシアは、オランダ、ベトナムは、フランスにと、また支配されていった事実である。

つまり、西欧列強の植民地支配が、復活したのである。

呆れる。
日本を、侵略国として、裁いたのであるが、キリスト教白人は、また、植民地支配を再開したのである。

そこで、起きたのは、その国に住む人たちによる、民族独立運動であり、独立戦争だった。

そうした、民族義勇兵の中に、一部の日本兵たちも、加わったのである。

インドネシアでは、現地の義勇軍に、武器を持って参加した日本兵たちが、およそ、3000人近くもいた。
その内、1000人が、独立運動で、命を失う。
1000人は、その後、帰国し、1000人は、現地に住み着き、現地人の妻をめとり、インドネシア人として、生きた。

戦死した、1000名の兵士は、国立英雄墓地に葬られ、今でも、英雄として、讃えられている。

私が、スラバヤに出掛けて、街中の、英雄墓地に赴いた際に、許可なくしては、入れないと言われた墓地の、管理人たちが、私が、日の丸を掲げて、日本人であることを知り、許可なくても、入れてくれた。

こうした人たちは、アジアに多く存在する。

ビルマにも、ベトナムにも存在する。
その国の、独立運動に命を懸けたのである。

しかし、敗戦後の日本では、彼らの存在が、語られることが無いのである。

彼らの多くは、異国のジャングルで、草むす屍となった。

東亜解放の、戦士たちである。
日本では、逃亡扱いにされて・・・
生きて帰って来た者も、軍人恩給の面で、差別されたのである。

彼らの存在は、今では、忘れられ、語られることが無い。
どの程度、こういう兵士がいたのかも、正確な数が解らないのである。

敗戦後の日本は、彼らの声を聞かない。

私は、幾度も、インドネシアの英雄墓地へ、足を運びたいと、願う。
バリ島の、英雄墓地も、出掛けた。
しかし、まだ、多数あるのだ。

そして、ビルマ、ベトナムの英霊たちである。

追悼慰霊が、いかに、大切なのかを、身をもって、知らせたいと思う。
追悼とは、追って悼む。慰霊とは、霊を慰める。
ただ、それだけである。

そして、祈り、とは、黙祷である。
誰もが、出来ることだ。

支援活動の、体力がなくても、祈りは、出来る。
だが、それも、多くの人たちの支援が必要である。

金銭的にも、精神的にも・・・

さて、日本が、東亜の解放を唱える前に、ソ連は、民族の解放を主張し、アメリカのウイルソン大統領は、民族自決を主張した。

だが、それは、理想論だった。
日本が対案した、人類平等、人種差別撤廃が、国際連盟で否決されたとき、民族自決などは、白人種のものであり、有色人種には、及ばないということが解った。

ソ連は、美しい理想を掲げたが、事実上は、諸民族を再征服し、ロシア帝国を再建した。

アメリカも、中南米まで、勢力下に置いていた。

欧米中心の、世界秩序は、日本の介入を許さなかったのである。

日本が、アジアからキリスト教白人を追い出し、日本の国益を確保するには、アメリカと対決するしかなかった。

日米決戦は、日清、日露戦争と同じように、無理な戦争だった。
しかし、日米戦争は、日露戦争と同じように、アジア諸民族に、大きなインパクトを与え、東亜の諸民族を、覚醒させた。
ナショナリズムを、形成させたのである。

何故、無謀な戦争に・・・云々・・・
もう、そういう、話は終わりである。

殺される。侵略されるならば、戦うという、日本の武士道精神である。

確かに、戦争遂行の様は、軍部のトップの様々な、醜態があるが・・・
それが、どうした。

結果である。
その結果が、アジアの解放と、独立である。

敗戦したが、日本の目的は、達せられたのである。

数百年に渡る、西洋植民地体制を、日本軍が、一撃で崩壊させた。
私は、そのように、考える。
だから、当時の、軍部の痴態を許す。

日本兵の、英霊の戦いで、許す。