神仏は妄想である524

イエス・キリストと呼ばれた、ナザレのイエスは、ユダヤ教徒であり、ユダヤ教を改革するために、説教を繰り返した。

新約聖書の書かれる、イエスは、各作者の思いが入る。
実際に、イエスの言葉は、少ない。

現在のユダヤ教徒は、イエスを神の子として認めていない。だから、キリスト教とは、別物となる。

キリスト教は、作られたものである。
全く、創作されたもの。

イエスの弟子たちは、キリスト教を作るためではなく、イエスの言葉を伝えた。キリスト教の成立に関しては、以前多くを書いたので、省略する。

さて、仏教の涅槃と、キリスト教の天国について、書く。
それは、あくまでも、作られた考えである。

仏教の涅槃とは、解脱して、つまり、悟りを得て、輪廻から出るということである。
解脱というのが、輪廻から、出るという意味である。

輪廻から出ると、もう、この世に生まれることはない。

涅槃とは、無の世界である。

この輪廻とは、インドの思想である。
輪廻思想は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人、の世界を巡ること。

人間界と、畜生界は、直接目に見える世界である。

他のものは、創作である。

シャカ仏陀は、生老病死を苦しみと、言った。
生まれる事、老いる事、病気をすること、死ぬことが、苦しみである。

つまり、生まれることがなければ、苦しみはない。
だから、解脱して、涅槃の無の世界に入ることが、救いである。

ちなみに、その他の苦しみとして、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦、という、苦しみがあり、四苦八苦と呼ばれる、苦しみがあるという、考え方である。

最後の、天人の世界でも、その寿命が最も短い者で、900万年と言われる。
インド人の、壮大な妄想である。

そして、また、生まれ変わるというから、救われないものだ。

それでは、ユダヤ教の、神の国とは、何か・・・
それが、実は、現実世界での、神の国の出現を夢見るのである。

天国思想は、キリスト教の創作したもので、永遠の命を得る国である。

仏教の、涅槃と、キリスト教の天国は、実に対照的である。

キリスト教は、生を否定する考え方はない。
生存から解放されるとか、何にも生まれなくて、済むという考え方はない。

キリスト教は、むしろ、徹頭徹尾、生命に固執するのである。


キリスト教には、創造論がある。
つまり、世界や人間は、神の創造物であるという。

生存からの、脱却を目指すことなく、現在の生命に使命を与え、生存に愛と、清さと、喜び、そして、永遠性を与えることを、目指す。

永遠性は、ユダヤ教も、同じである。

そして、神の永遠の命に、参入することが、最終目的となる。

原始基督教は、肉体を持ったまま、生きると信じた。
だから、死体は、そのまま、埋葬したのである。

審判の日に、肉体として、裁かれて、天国へ行く。
あるいは、地獄である。

ただし、カトリックでは、途中から、煉獄という場所を、創作した。
それで、免罪符というものを、作り、それを買えば、天国行きが、確定すると言う、詐欺である。

永遠の命という、概念は、キリスト教の特有のものである。
ユダヤ教では、明確ではない。
ただし、神の国に入るとは、矢張り、その永遠性を求めるのだろう。

キリスト教が、永遠の命、という概念を、明確にした。

さて、仏教の涅槃が、宇宙空間に飛び出す、という意味になり、キリスト教の天国は、生命の海に帰入することになる。

その海は、生命と、光に満ちて、愛と歓喜と、力、清さ、尽きぬ平安に満たされるのである。

ちなみに、イスラムになると、とんでもない、妄想になる。
ジハード、聖戦に参加する者は、その天国で、処女に囲まれ、食い放題、やりたい放題である。

仏教の救いとは、消滅すること。
キリスト教の救いは、消えることなく、燃え続けて、永遠のエネルギーになるのである。

勿論、どちらも、妄想である。

永遠の命とは、何か・・・それは、
唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです
ヨハネ福音書

この、知るという意味は、相手と自分が、深い関係に入ることであり、それは、自分の全存在を上げて、相手と関わることを言う。

永遠の命とは、その関わりの中にあり、その交わりが、永遠の命ということである。

つまり、死後の復活を信じるのである。
呆れる。

死後は、霊になり、その霊は、様々な世界に生きるのである。
勿論、神であるという、霊も多数存在する。
その一つが、聖書の神、エホバ、ヤゥーエである。
呆れる程、愚かな神である。