神仏は妄想である527

もし、仏教という宗教が、シャカ仏陀の教えだとしたら、大乗仏教、そして、日本仏教は、嘘であるということになる。

大乗が蔑んだ、上座部仏教、すなわち、小乗仏教の人たちは、大乗を新興宗教であると、判定した。
何故か。
そこには、シャカ仏陀の教えなど、ないからである。
まことに、奇妙奇烈、何でも、ごちゃごちゃにして取り入れ、新しい宗教を起こした。そこに、シャカ仏陀の権威を持って、仏教と名乗ったのである。

さて、世俗化している、日本仏教の嘘を暴く。

まず、僧侶が葬儀に関わることを、シャカ仏陀は、自ら、禁止している。

正しい目的のために努力せよーーー仏教の修行者は、自分の修養につとめることだけをせよ。葬儀などやるな、という思想は原始仏典聖典にまま散見するが、ここにも現れている。
ブッダ最後の旅 中村元訳

ブッダは、また、自分の葬儀さえ、在家の人たちに、執り行わせた。
その葬儀には、僧侶は、一人も登場しないのである。

更に、戒名、回忌法要ということも、言わない。

葬式のみ得意な、日本仏教は、仏教ではないということになる。

この葬式の、戒名とは、現在の日本の仏教の、収入源であるから、驚く。
私の知り合いの、東京の浄土真宗の葬儀で、その父の戒名に、200万円かかっと言われて、絶句した。

金の取れるところからは、最大に、取るのである。

まして、浄土真宗の開祖、親鸞は、また、それらを一切排除したはずである。
仏壇まで、否定したはず。

実際、戒名は、世界の仏教国の中でも、日本のみに、通用している。
その他の国、タイ、スリランカ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、中国、韓国にも、そのようなものは、無い。

その昔、日本でも、生きている時に出家し、得度した者に、受戒を済ませて、修行に入る者だけに、与えられた。
在家の者に、戒名などは、与えられなかった。
勿論、死んだ者にも、である。

今では、それが当たり前のようになっている。
世俗化である。
そして、それは、商売と化している。

中国に、敦煌という、かつては、仏教都市として栄えた大都市が存在した。

そこから出た、敦煌文書には、当時の僧侶たちの、様子が記されている。
権威を振りかざし、供養、布施などの形で、財産を信者から搾取していた。

それは、まさに、取れるだけ、取るというものである。
更に、高利貸しである。
半年、50%の高利貸しで、暴利を貪り、また、期限までに支払いがないと、利息は、100%になり、払えないと、保証人から、剥ぎ取る横暴振りだった。

やかで、この腐敗した敦煌は、滅びることになる。

日本では、特に、キリシタン禁制が始まったころから、仏教界の堕落が始まる。僧侶たちは、特権階級になり、利を貪る者に、成り下がった。

水戸光圀は、
近頃は、僧侶といえば葬式が仕事になっている。彼らが檀家の死をもって利を得ているに至っては、まさに法滅の相が現れているとしか言いようがない。
と、言う。

江戸時代前期の儒学者、熊沢蕃山も
近頃はキリシタン禁制以来、坊主たちは昔と違って、戒律を守ることもしない。ただキリシタンではないというだけで気安く世を貪っている。肉食や女犯をすることは一般の人たち以上だ。
と、言う。

では、現在は、手の付けられない僧侶になっている。

中には、立派な人もいる。
しかし、それも、もう、仏教とは、言えないのである。
仏法などを、名乗れる組織は皆無である。


私も、常々、僧侶たちの、行為を聞いている。
そして、呆れる。

宗教法人を食い物にしているのである。
税金逃れの、最たるものである。

もし、信長がいたら・・・
皆々、焼き討ちしているであろう。

僧侶たちの、悪事、悪行は、実に凄まじいものがある。
決して、騙されないことだ。
彼らは、その宗派の思想までも、知らない。
仏陀を食い物に、開祖を食い物にして、当然としている。

そして、新興宗教系である。
終わっている。

色と欲との、仏教界であり、それは、最早、仏教と言うものでもない。何か、ヤクザまがいの集団である。

政治家は、宗教界の中に、手を入れない。何故か・・・
それらが、選挙の票になるからである。
政治と宗教とは、斬っても切れないのである。

勿論、これがいつまでも、続く訳が無い。
檀家制度崩壊である。
葬式も、変わる。
僧侶は、いらない。

誰も、僧侶の説教など、聞かない。
哲学、思想、そして、文学が、再び生きる力として、甦る。

救いは、そこにある。
芸術にこそ、救いがある。

神仏には、何一つ、救いなど無い。
それらは、妄想だからである。