もののあわれについて927

薫「今はいふかひなし。ことわりは、返す返す聞こえさせてもあまりあらば、抓みも捻らせ給へ。やむごとなき方に思し寄るめるを、宿世などいふめるもの、さらに心にかはぬものに侍るめれば、かの御心ざしはことに侍りけるを、いとほしく思ひ給ふるに、かなはぬ身こそおき所なく心憂く侍りけれ。なほ、いかがはせむに、思し弱りね。この御障子のかためばかりいと強きも、まことに物清くおしはかり聞こゆる人も侍らじ。しるべといざなひ給へる人の御心にも、まさにかく胸ふたがりて、明かすらむとは思しなむや」とて、障子も引きやぶりつべきけしきなれば、言はむ方なく心づきなけれど、こしらへむと思ひしづめて、姫宮「この宣ふ宿世といふらむ方は、目にも見えぬ事にて、いかにもいかにも思ひたどられず。知らぬ涙のみ霧りふたがるここちしてなむ。こはいかにもてなし給ふぞ、と、夢のやうにあさましきに、のちの世のためしに言ひいづる人もあらば、昔物語などに、ことさららにをこめきて作り出でたるもののたとひにこそはなりぬべかめれ。かく思し構ふる心の程をも、いかなりけるとかは推し量り給はむ。なほ、いとかくおどろおどろしく心憂く、な取り集めまどはし給ひそ。心よりほかにながらへば、少し思ひのどまりて聞こえむ。ここちもさらにかきくらすやうにて、いとなやましきを、ここにうち休まむ。ゆるし給へ」と、いみじくわび給へば、さすがにことわりをいとよく宣ふが、心はづかしくらうたく覚えて、薫「あが君、御心に従ふことのたぐひなければこそ、かくまでかたくなしくなり侍れ。言ひ知らず憎くうとましきものに思しなすめれば、聞こえむ方なし。いとど世に跡とむべくなむ覚えぬ」とて、薫「さらば、へだてながらも聞こえさせむ。ひたぶるにな打ち捨てさせ給ひそ」とて、許し奉り給へれば、這い入りて、さすがに入りも果て給はぬを、いとあはれと思ひて、薫「かばかりの御けはひをなぐさめにて明かし侍らむ。ゆめゆめ」と聞こえて、うちもまどろまず。いとどしき水の音に目もさめて、よはのあらしに山鳥のここちして、あかしかね給ふ。




薫は、今となっては、何を言っても、何にもならない。お詫びは、幾度申し上げても、足りない。つねりでも、捻りでもして下さい。ご身分の高いお方のほうに、お心を寄せたらしいのに、運命などというものは、何とも、思うに任せないものでございます。あちらのお気持ちは、別でございましたのを、お気の毒に存じますが、思いの叶わない私こそ、身の置き所もなく、辛いものです。やはり、どうしようもないのですから、諦めてください。この、御襖の守りだけが、いくら固くても、本当に潔白だと想像いたす人も、ございます。案内役にお誘いなさった方も、ご心中、まさか、胸を詰まらせて、夜明かししていようと、思いましょうか。と、襖も、引き破るような様子なので、いいようもなく、不愉快だが、なだめすかそうと、気を静めて、
姫宮は、お言葉の、運命とかいうものは、目にも見えないことで、何とも、解りません。行く先を知らない、涙ばかり溢れて、目も見えない気がします。これは、一体、どうなさるおつもりでしょう。と、夢のように、呆れる他なく、後々の世に、話の種でも、持ち出す人でもあるならば、昔物語などに、わざと、滑稽に作り上げた、たとえ話に、きっとなることでしょう。こんなに、企みなさる胸の内を、宮様も、どういうことと、お考えなさいましょう。この上、もうこんな酷いこと辛く、色々と困らせないでください。思いのほか、命が続きましたら、少し気が落ち着いてから、お話し申し上げます。気分もすっさかり、悪くなり、とても苦しいので、ここで休みます。お放しください。と、酷く、嫌がるので、それでも、道理を尽くして、おっしゃるのだが、気恥ずかしく、労しく思われて、
薫は、お聞きください。お心に従うこと、またとない、私ですから、これほどまでに、馬鹿正直になっています。それを、言いようもなく、憎くて、嫌なものと、取られるので、申し上げようもありません。益々、この世に、心残りが、なさそうになりました。と、続けて
ですから、襖越しでも、お話し申しましょう。まるっきり、お捨てくださるな。と、放して上げると、いざり入り、さすがに入りきりにもされないのを、いじらしいと思い、
薫は、こんな、かすかなご様子を慰めに、夜明かしいたします。決して、けして、と、申し上げて、まどろむこともない。
一層、激しい川の瀬音に、目も冴えて、夜半の嵐に、あの、雌雄別に寝る、山鳥になった気がして、夜を、明かしかねている。




例の、明け行くけはひに、鐘の声など聞こゆ。いぎたなくて出で給ふべきけしきもなきよ、と、心やましく、こわづくり給ふも、げにあやしきわざなり。


しるべせし われやかへりて まどふべき 心もゆかぬ あけぐれの道

かかるためし、世にありけむや」と宣へば、

姫宮
かたがたに くらす心を 思ひやれ 人やりならぬ 道にまどはば

と、ほのかに宣ふを、いとあかぬここちすれば、薫「いかに。こよなくへだたりて侍るめれば、いとわりなうこそ」など、よろづにうらみつつ、ほのぼのと明け行く程に、よべの方より出で給ふなり。いとやはらかにふるまひなし給へるにほひなど、えんなる御心げさうには、いひ知らずしめ給へり。

ねび人どもは、いとあやしく心えがたく思ひまどはれけれど、「さりとも、あしざまなる御心あらむやは」と、なぐさめたり。




いつものように、明け行くころ合いに、鐘の音など聞こえる。
よくお休みで、お出になりそうもない様子である。と、気が揉めて、咳払いされるのも、まったくおかしなこと。


ご案内した私が、反対に、踏み迷っていいものか。満ち足りない思いで、帰る、この明け方の暗い道を。

こんな例が、世間にあったのでしょうか。と、おっしゃると、

姫宮
幾つも、悩みを抱えた私の気持ちにも、なってください。ご自分のせいで、道にお迷いになるのでしたら。

と、かすかに、おっしゃるのを、もっともという、気になり、薫は、なんと、これでは、あんまり厳しい隔てでございます。とても、辛くて。などと、あれやこれやと、恨みつつ、白々と明けて行く頃に、夕べの戸口から、お出ましになるようだ。とても、物や柔らかに、振舞っていらっしゃる匂いなど、会う夜だった、と張り切って、いいようもなく、焚き染めていらっしゃったのだ。

老女たちは、どうも変で、腑に落ちず、戸惑っていたが、何が何でも、悪いようにされるはずがない。と、心に言い聞かせている。