日々の言い分248

時は1960年、安保闘争の真っ最中。

当時の自民党国会議員がデモ隊の指導者に

このように伝えました。「もっと激しいデモをやってくれ、

そのほうがわれわれは今後アメリカに対して強腰に出られるから」


なぜその議員はこんなことをを言ったのか。日本の反米世論が最高潮にあるというメッセージをアメリカに伝えるためです。


つまり、当時の岸内閣は安保改定を成し遂げるために、安保闘争を利用するという戦略に出ました。


岸元首相が安保改定を強行採決したのは、他でもありません。


彼は筋金入りの「反米」だからです。


彼はA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監された人物であり、


戦前からの親英米派であった吉田茂が、1952年にアメリカと結んだ日米安保を改定どころか破棄することを最終目標にしていました。


岸元首相にとっては、安保改定はやがて日本が自主防衛に向かう通過点であったようです。


ただ東西冷戦下での安保条約破棄は西側陣営からの離脱を意味するため、それが選択支となりませんでした。


また、安保闘争でデモ隊が訴えていた安保改定反対は皮肉なことに、占領期の対米従属に居座ることと何ら変わりはないのですが、岸元首相はそれを逆手にとって、安保闘争を対米外交のアクセントとして利用しました。


一方、国内の安保改定反対の声はデモ隊とメディアが叫んでいるだけのマイノリティーであり、ほとんどの日本国民が真の独立を望んでいることを、分かっていました。


サイレントマジョリティーという言葉がありますが、安保改定前の大手新聞社世論調査では、安保改定賛成 21.6%安保改定反対 36.0%わからない・他 42.4%となっていました。


つまり、岸元首相は、「わからない・他 42.4%」が当時の空気にのまれてしまった「声なき声」であると判断したということです。


安保改定を強行採決した結果、岸元首相は辞任に追い込まれはしましたが、


安保闘争が終わり、デモ隊が解散したあとの大手新聞社世論調査では、安保改定はよい 15.3%安保改定はやむをえない 33.9%となっており、国民の半数は安保改定を支持していたことが分かります。


上記の書き込みを読んで・・・

物事には、裏があるということを、知らない人が多い。

たった己一人の情報を、すべてであると、思い込む、馬鹿者である。

だから、単純明快な言葉を使う。

馬鹿の証拠である。


勿論は、私は、賢い者ではない。私も、愚か者である。ただし、寛容であり、様々な意見に耳を傾ける。

そして、考える。

その、考えが、私なのである。だから、単純明快にはならない。

そして、それを表現する際に、言葉の未熟さを感じるのだ。わが身の言葉の、未熟さである。

そうして、今日も、また、学んでいる。

死ぬまで、そのようである。