国を愛して何が悪い200

平家物語は、平安期の文学の、最後を飾ると、私は言う。


源氏物語は、人間の情というものを、幾重にも、細かく味わうのが、基本だったが、平家物語になると、そこに、初めて、人間学、世間学というものに、集約されてゆくのである。


更に、それが後世には、日本人学のようになってゆく。

つまり、人間とは、どのように事に対処すべきかという、テーマを与えた。


人間の美しさを、平家物語は、描いたのである。

それが、武士道に結実する。


人間として、日本人としての、価値判断の基準が物語によって、設定されたと言ってよい。


つまり、日本人の原型がある。原点でもある。


この美学というものを、中世の武士だったということが、中世に、日本人の生き方の美学が、出来上がったと言ってもよい。


勿論、源氏物語は、日本人の心象風景である、もののあはれ、が示された。

そして、心の姿、たゆたい、である。


日本人の心情の、曖昧さ、である。

この、曖昧さは、日本人の精神の特徴であり、行為の特徴でもある。


それが、世界的に通用しないことは、確たるものとしている。

海外に出掛けると、曖昧では、いられなくなるのである。


言いたいことは、明確に言うのが、世界である。

対外的に、日本人は、曖昧ではいられない。

特に、グローバル化した世界では、特に、そのようである。


だが、日本国内では、それで、いい。


それが、日本の社会を、支える精神的基盤である。


武家が日本文化に持ち込んだ意識は、恥を知ることと、名を後世に留める、ということである。


平家物語は、戦いの物語であると共に、眼に見えない価値を守り、人間としての、美しさを貫く姿を描いた。


そして、死ぬ覚悟のある、日本人、武士である。

日本の文学史上初の、人間学といえる。


武士が登場する前は、公家の時代である。

しかし、武士が、特に、平清盛の父である、忠盛が、1132年に、朝廷に昇殿を許された瞬間、武士が日本史の、表舞台に登場した。


その、新しく登場した武士は、公家とは違う価値観を持っていた。


命ではなく、名を惜しむという・・・

そして、恥を怖れたことである。


公家たちから見れば、武士の行動には、理解を絶したことだろう。

彼らは、名、恥などのために、命を捨てないのである。


だが、その時から、日本人には、目に見えない価値があるとの、観念が生まれたのである。


現代まで続く、日本人の価値観が、平家物語によって、成ったと、私は言う。


本当は、物語から、それなりの逸話などを紹介するべきだが・・・

省略する。


ただ、もう少し、説明すると、名を惜しむ武士という意識は、土地の私有権より発したものであった。


権勢を誇った、藤原氏でも、絶対的統制権力を、全国に持つという、気はなかった。

律令制で、土地は公有ということになっていたからである。


だが、新規開拓とした土地は、開拓者の権利を認めるということにした。それが、貴族政治の致命傷となったのである。


農地を開拓した者は、三代の間、その保有を認めることになっていたが、それが、永代になり、その土地には、年貢もかけないということになれば、私有地というものが、発生する。


つまり、新田開発を巡り、初めて、日本人が、所有権に目覚めたということである。


そして、その土地は、家代々のものになる。

つまり、何々家の所有である。


そこから、一生懸命、という言葉が生まれた。

一所懸命である。


つまり、私の命が無くなっても、次に続くのである。

土地は、子孫に伝わる。


この保証があって、後世のために我が名を、残すという考え方、精神の裏付けが出来たのである。


そして、武士は、その所有権を守ってくれる、保証人になる。


武士の第一の仕事は、京都で、公家と交渉し、所有権を認めさせることだった。しかし、それだけでは、土地を守り切れない。

次第に、武装するようになる。


そうして、武士というものの、存在感が大きくなった。


その初代の成功者が、平家だった。

だが、平家は、公家階級に組み込まれて、それを喜んだがために、新田開発者にとっては、抑圧者になるということ。

そうなると、代わりの武装集団が必要になる。


それで、源氏が勃興したのである。


源氏の幸運は、平家の没落を目の前で、見たということである。

つまり、武家たるものは、公家化してはならない、ということを見た。更に、栄耀栄華に溺れない、ということであった。


頼朝は、結果、京都ではなく、鎌倉に幕府を開いたのである。

この、鎌倉幕府が出来て、初めて、日本人に後世という、意識、名誉という意識が、実感として、芽生えたのである。


日本人の、精神史である。