日々の言い分258

今回の試みで面白いのは、「ブロックチェーン」には、大きく分けると「パブリックチェーン」と「プライベートチェーン」があり、ビットコインなどが前者であるのに対し、「ペトロ」は後者にあたり、極めて恣意的な仮想通貨を実験的に発行した点にあります。

国家が発行する仮想通貨は、法定通貨や国有財産を担保にプライベート型のブロックチェーンで管理するもので、僕はベネズエラに限らず、デフォルト(債務不履行)に陥る可能性や財政の行き詰まりが高くなればあらゆる国々が今後プライベート型の仮想通貨を発行すると考えています。

時間はもう少しかかるのでしょうが、そのひとつが日本で検討されている政府紙幣の発行ではないかと睨んでいるほどです。

今後、ベネズエラは、金を裏付けとする仮想通貨「ペトロ・ゴールド」を導入すると発表しています。

また、トルコとイランも仮想通貨発行の検討を公にしています。

時代は、いよいよ官製仮想通貨の時代に突入したわけですが、それは同時に、世界的に経済が大揺れになる時が、本気で近づいてきた証でもあります。

仮想通貨は、たとえ国家が発行しても必ず大きく暴落するでしょう。

なにしろ、最後の苦肉の策で、もう後がないことがバレてしまっているからです。


上記の書き込みを読んで・・・


兎に角、欲から発するもので、良いものは、一つもない。


仮想通貨で、億万を得た人がいる。

ただ、それだけで、信じる。


そして、信じる者は、騙される。


宗教だけではない。

主義も、主張も、すべて、仮想であり、幻想、妄想である。


勿論、世の中は、仮想であるから、仮想通貨も、意義があるのだろうが・・・


私は、信用していない。

何故か・・・


実は、現金も、信用出来ないのである。

それも、仮想である。


それについての、専門的な分析は、専門家に任せる。


私の言いたいことは、ただ、仮想であるということだ。

いずれ、仮想は、引き戻される。

そして、人生には、そんな良い話はない。


基本的な、第一次産業を見ると、良く解る。


育てる、捕る、作るという、第一次産業は、確実である。

勿論、今は、捕るも、育てる漁業に、変容して来た。それでも、心意気は、同じだ。


ところが、マネーだけは、違う。


投資という、実に見事な、金を得る方法がある。

金持ちは、投資を良くして、利益を上げる。

まともな方法である。


だが、金は、ゴールドの旦保があって、信用された。

今も、そうである。


だが、仮想通貨は、何によって、確定しているのか・・・

何も無い。


ただ、仮想である。

要するに、無いものを、在ると信じているのである。


そして、少しばかり、億を得た人がいると、それっ、とばかりに、飛び付く。

特に、日本人は、それに、弱い。


だから、いずれ、日本人が、大枚に、損をすると、見ている。


簡単に言えば、博打である。

博打である以上は、それ以上にはならない。


博打で終わる。


勿論、お金を得ることは、悪いことではない。

それが、生きる、甲斐になる人もいる。


何せ、人生に、生きる意味などないのだから、何かに、弾みをつけて、生きなければならない、定めを負う人間である。


死ぬことが、救いと、知らない人たちは、多いに迷い、人生を棒に振る。


それでも、いい。

そのうちに、死ぬ。


だから、仮想通貨で、億万を得て、満足するとよい。


私は、ただ、それは、幻想、妄想であると、言うだけ。

他意は、無い。


それらを、見ていると、ただ、面白いのである。

人間とは、実に、哀れなものである。


なにしろ、最後の苦肉の策で、もう後がないことがバレてしまっているからです。・・・

これが、いい。


もう後が無い・・・

そう、人生は、もう後が無いから、面白い。

そして、騙されて、死ぬ。

死んでも、そのまま、騙されている人たちも、大勢いる。


彼らの霊は、ただ、漂うのである。

未練がある霊は、浮遊する。