性について291

ホモセックシャアルは邪悪な存在であるという強固な先入観は問題視されることのないまま、19世紀から20世紀半ばに至るまで存続していた。

ギルバート


伝統的なユダヤ教及び、キリスト教に従い、死後の魂に関わる究極的な問題として、極端な、性的、政治的道徳主義を持ち込んだ。


それは、異端審判で見られた、魔女狩りと大差がない。


道徳主義者は、同性との性的関係を逸脱か、倒錯と見なし、またそれを、生命維持に必要な、体液やホルモン、脳などの、神経の変性がもたらした、生物学的現象と、捉えたのである。


だが、同性との性的関係が、他の文明、社会に存在することが判明すると、西欧が文明の倫理基準について抱いていた、信頼感が、根こそぎ失われることになった。


または、他の社会を、野蛮、あるいは、退廃的と見なす一因となる。


本当は、西欧の人たちが、野蛮なのであるが・・・

彼らの、先祖は、皆々、バイキングである。


1897年、ドイツから始まった、大規模な性開放運動は、その結果の是非を問わず、ゲイ、レズビアンの権利の、過小評価と、権利侵害に対する反発と見なすことになる。


運動を指導した、ドイツ人医師、マグヌス・ヒルシュフェルトは、思想家にして、政治改革家、そして、性改革者であり、ホモセックシャアリティを悪徳とみなす考え方が、それを疾病と見なす発想に、道を譲り始めた頃、同性愛者の基本的人間性について説き、その研究に取り組んだ。


20世紀に入って間もなく、ドイツ議会では、同性愛を処罰の対象外といする法案を、もう一歩で通過させる、動きが見られたが、それは、世論を説得しようとした、同性愛擁護運動の試みが、成功したことを示している。


だが、それは、結果的に、同性愛は、生物学的差異が作り出した、受け入れられるべき、必然的状態であると主張することにより、悲惨はプロセスを辿った。


ナチスである。


ナチスは、同性愛者、共産主義者に対する、敵意を助長しようとしたのである。


そして、1920年代後半、擁護運動は、ナチスによる攻撃によって、終焉を迎えた。


ナチスは、政権掌握し、ユダヤ人、ホモセックシャアル、ジプシーを、組織的に「浄化」したのである。


つまり、ホロコーストである。


ここで、また、フロイトの同性愛に対する、取り組みを見る。


セクシャリティの概念拡大し、あらゆる種類の快楽に対する、多様な欲望を範疇に含めるということで、暗黙の内に、ホモセックシャアルを人生の正常範囲に組み込んだ。


それは、段階的に進められた。


古代ギリシャでは、年齢構成化された、ホモセックシャアルが存在し、その慣習が神話化されていたことを、フロイトは、認識していたが、ホモセックシャアルを、西欧文化における、倒錯として分類していた。


だが、フロイトも、その見解が変化する。


その後は、一貫して、人道的なものとなった。

西欧社会においても、性行動は、一般の認識より、多様なものではないかと、考えたのである。


1935年、アメリカ人の母親に宛てて、同性愛の息子を受け入れ、愛するようにと、助言した手紙を書いたことが、有名である。


それ以来、おびただしい数の医学及び、心理学関係の論文が現れ、創造力に富み、天分に恵まれた人々ですら、同性に向かう欲望を有するとという点を取り上げて、ホモセックシャアリティの様々な側面に、人間性を与えたのである。


第二次世界大戦後、アルフレッド・キンゼイとその共同研究者らが、1948年、アメリカで、性行動に関する、大規模な調査研究を行い、統計上の結果を示すことで、ホモエロティックな欲望は、人生というスペクタクルの一部であるという、考えを、初めて、証拠立てた。


それは、アメリカでは、同性愛行為は、考えていた以上に、広くおこなわれていたからである。


その男性の37%は、人生のある時期、同性との性的接触を経験したことがあるという、結果が得られた。


生涯に渡り、同性との性的関係を持っているという、成人男女の割合は、5%だったが、やがて、10%になるという事態である。


キンゼイは、快感のためのセックスは、生殖を凌ぐものであること、そして、ホモセクシュアリティ、ヘテロセクシャリティという、二分法は、現実というより、文化的理念であることを、示した。


この、ギルバートの著書は、西欧のみならず、世界的な同性愛に関する、情報を紹介している。


今は、欧米を主にするが、いずれ、アジア、アフリカ、中東、オセアニアなどの、同性との性的関係を紹介する。


それは、文化的なものと、習慣的なものがある。

そして、その概念は、それぞれ、別々のものである。


その行為を認めるが、ホモセクシャルという概念を認めない、民族、地域もある。


例えば、日本の江戸時代などは、結婚生活をしていても、当然の如く、同性との性的関係を持っていた。


武士の若者たちは、それを当然として、受け入れていたのである。


そういう、地域が世界的にも、多種多様に存在する。


私の、中間の結論だが・・・

当然それは、あって、しかるべきものなのである。


逆に、それは、才能とも、言える。

同性と愛し合えるという、才能であると、言う。


または、その想像力の賜物である。

つまり、人間は、ただ、想像力により、生きられるのである。