日々の言い分272

アルバイトがレジを担当している時に、その友人・知人が来店し、防犯カメラに映りにくい死角で商品を物色し、電子レンジで温めて持ち帰る(食べる)という行為。店長がお店からいなくなった深夜時間帯に発生しがちで、この事例が発生すると最悪です。

例えば、深夜時間帯に店長が店に行ってみると、アルバイト君の友人3~5名が、店のバックルーム・事務所にたむろしていたというケースも。事務所の机の上には、廃棄処理済みのパックの焼き鳥・缶ビール・チューハイがズラリ……。彼らは、店長がいなくなる深夜時間帯に友人を呼び寄せて、酒盛りをしていたのでした。


これら廃棄処理を巡る様々な行為ですが、これが店舗に定着してしまうと大変厄介です。なぜなら、それらが行き過ぎてしまうと、アルバイトなどが自分が食べたい商品を「わざと廃棄する」という行為に発展するからです。具体的には、自分で食べたい商品を発注し、店頭に陳列させずに販売期限切れになった後に廃棄処理を行い、自分で食べるようになってしまうのです。

しかしながら、これまで紹介したような廃棄商品の処理が、いわゆる福利厚生的な位置付けになってしまうと、なかなか撤廃することができなくなります。つまりアルバイトやパートからすると、無料で御飯が食べられる(まかない飯)、安く商品が買える(従業員割引)といった感覚になった後に、その廃棄処理のローカルルールを撤廃した場合、待遇悪化ととらえられてしまい、アルバイトやパートの大量退職にもつながってしまうのです。

ちなみに先述のアルバイト君の友人が酒盛りをしていた店の店長は、廃棄ローカルルールを撤廃するために、廃棄処理が終わった商品を、わざとアルバイト君たちが見ている前でごみ袋に捨てるようにしたそうです。自分が直接見れない時間帯の廃棄商品の処理についても、廃棄商品の登録作業をアルバイト君には担当させず、自分自身が行うようにしたそうです。


上記のような書き込みを見て、思う事。


人間とは、何と、悲しいものなのか・・・

決まりに従わない人がいる。


ただ、それだけではない。

ここに、人間の品性を見るからだ。


誰にも、見られていなければ、何でもするという、人間というもの。


まだ、食べられるものを、廃棄するというのは、私の主義に合わないが・・・


これは、それを商売している人たちの、世界である。


もし、決まりがなく、廃棄するものを、勝手に処理していいとなると、人間は、そのために、つまり、廃棄することを、目当てにして、また、馬鹿なことをする。


つまり、最初から、廃棄にするつもりで、それらを発注するということだ。


結局、品性の無さに、流される。

そして、得をしたと思う心の、哀れさである。


日本人が、いつから、このように、品性の低い者になったのか・・・

それは、敗戦後である。


それ以前は、そんなことをすると、日本人かと、叱られた。

そういう、時代があった。


つまり、それだけ、矜持があったのである。


日本人として・・・

それは、日本人として、恥ずかしい行為だと、教える人がいた。


ところが、今は、金のことになると、目がくらみ、自分の得になることには、目がくらみと、呆れる行状である。


私は、この頃、日本で死にたくないと、思うようになった。

それなら、日本の精神を学びたいという人がいる国に行き、そこで、日本の心を伝えて、そこで、死ぬ。


そんなことを、想像している。


もう、死ぬ時期も近い。

死ぬ時節になれば、自死するのである。


それが、また、日本人の精神だった。


あの、西行も、歌詠みした通りに、死んだ。

そういう、見事さが日本には、あった。


自死の思想は、中世から起こった。

死ぬ時節が来ると、死ぬ準備をする。


そして、山野に入り、少しずつ、食べ物を減らす。

最後は、木の実などを食べて、死ぬ準備をする。


すると、精神、心が冴え冴えとしてくる。


そこに、見える風景がある。


もののあはれ、である。

これは、別名は、空とか、無の境地である。


あの、仏教や、老荘思想の、空、無ではない。

実感としての、空、無である。


だから、空、無という、心境は、存在していた。


それを専門に言う、僧侶などは、及ばない。

彼らは、単なる商売人と化しているだけ。


人の葬式をして、ナンボの生活をしている。

つまり、堕落である。


別エッセイ、神仏は妄想である、を参照ください。

すてべ、本当のことを書いている。


この、日本の伝統的行為である、自死の思想は、他の国の人たちには、理解出来ないものである。


それは、日本の風土が作った思想である。


えっ・・・日本には思想は無い・・・という馬鹿者たちが、敗戦後は、竹の子のように出た。


西洋の思想こそが、思想だと、信じた人たちである。

そして、信じて騙された。


別エッセイ、死ぬ義務、には、多くのことを書いている。

是非、参照ください。