もののあわれについて931

宮はその夜内に参り給ひて、えまかで給ふまじげなるを、人知れず御心もそらにて思し嘆きたるに、中宮「なほかく一人おはしまして、四のかなに、すい給へる御名のやうやう聞こゆる、なほいとあしき事なり。何事も物このましく、立てたる御心な使ひ給ひそ。上もうしろめたげに思し宣ふ」と、里住みがちにおはしますを、いさめ聞こえ給へば、いと苦しと思して、御とのいどころに出で給ひて、御文書きて奉れ給へる。なごりもいたくうちながめておはしますに、中納言の君参り給へり。





宮、匂宮は、その夜、宮中に参内されて、ご退出できそうもないのを、一人、お心も上の空で、嘆いていらっしゃると、中宮が、まだ、こんな独り身でおいでになっては、世間に、好き者との、ご評判がおいおい、立ちますのは、矢張り、いけないことです。何事も、風流過ぎて、凝り性を出すことなく。主上も、ご心配なさって、仰せなさいます。と、里での、お暮しの日が多くいらっしゃるのを、ご意見申し上げるので、とても、辛く思いになり、ご自分のお部屋にお出ましになって、お手紙を書いて差し上げた。

その後、気分も悲しく、ぼんやりとしていると、中納言、薫が、参上された。





そなたの心よせと思せば、例よりもうれしくて、匂宮「いかがすべき。いとかく暗くなりぬめりを、心も乱れてなむ」と、なげかしげに思したり。よく御けしきを見奉らむ、と思して、薫「日ごろへてかく参り給へるを、今宵さぶらはせ給はで、急ぎまかで給ひなむ、いとどよろしからぬ事にや思し聞こえさせ給はむ。大盤所の型にて承りつれば、人知れず、わづらはしき宮仕へのしるしに、あいなき勘当や侍らむ、と、顔の色たがひ侍りつる」と申し給へば、匂宮「いと聞きにくくぞ思し宣ふや。多くは人のとりなす事なるべし。世に咎あるばかりの心は、何事にかはつかふらむ。ところせき身の程こそ、なかなかなるわざなりけれ」とて、まことにいたはしくさへ思したり。いとほしく見奉り給ひて、薫「同じ御騒がれにこそはおはすなれ。今宵の罪にはかはり聞こえて、身をもいたづらになし侍りなむかし。木幡の山に馬はいかが侍るべき。いとど物きこえや、さはり所なからむ」と聞こえ給へば、ただ暮れに暮れて更けにける夜なれば、思しわびて、御馬にて出で給ひぬ。薫「御供にはなかなか仕うまつらじ。御後見を」とて、この君は内にさぶらひ給ふ。





あちらの、ひいき、と思いになると、いつもより、嬉しくて、匂宮は、どうしょう。こんなに暗くなってしまったし、気もイライラして。と、困ったと思いである。

とくと、お気持ちを伺うつもりで、薫は、久しぶりに、こうして参内なさいましたのに、今夜、候なさらずに、そうそうに、ご退出されては、益々よろしくないことに、思い申し上げなさいましょう。女房の詰め所の方で伺ったところでは、密かに、やっかいな御用を勤めたかどで、困ったお叱りも、ございましょうか。と、顔の色が変わりましたと、申し上げると、匂宮は、聞きづらいことをおっしゃる。大方は、人が告げ口するのだろう。世間から、非難されるほどの、どんなことを、しようと思うか。窮屈な身分なんて、無い方が、ましだ。と、真実、厭わしいとの思いである。

お気の毒に察して、薫は、いずれにしても、同じような、騒がれ方でございます。今夜の罪は、私が代わり申し上げて、身を捨てもしましょう。木幡の山には、馬はいかがですか。いっそう、世間の目を避けようもございません。と、申し上げると、夜も更けてきたので、困りはてて、御馬でお立ちになった。

薫は、御供は、かえっていたしますません。お後を引き受けまして。と言って、この君は、御所にお泊りになる。





中宮の御方に参り給へれば、中宮「宮は出で給ひぬなり。あさましくいとほしき御さまかな。いかに人見奉るらむ。上きこしめしては、いさめ聞こえぬがいふかひなきと、思し宣ふこそわりなけれ」と宣ふ。あまた宮達のかくおとなびととのひ給へど、大宮はいよいよ若くをかしきけはひなむまさり給ひける。





薫が、中宮の御前に参上されると、明石の宮は、宮はお出ましになりましたね。呆れた情けない行儀です。何と人が、拝することか。主上がお聞き遊ばすと、ご注意申さないのが、いけないと、思いで、お叱りになるのか辛くて。と仰せになる。

幾多の、宮たちが、このように一人前になり、立派だが、大宮は、益々お若く、美しい様子が増している。





薫「女一の宮も、かくぞおはしますべかめる。いかならむ折に、かばかりにてももの近く、御声をだに聞き奉らむ」とあはれに覚ゆ。「すいたる人の、思ふまじき心つかふらむも、かうやうなる御中らひの、さすがに気遠からず、入り立ちて心にかなはぬ折の事ならむかし。わが心のやうに、ひがひがしき心のたぐひやは、また世にあんべかめる。それだに、なほ限りの女房のかたち心ざま、いづれとなく悪びたるなく、めやすくとりどりにをかしき中に、あてにすぐれて目にとまるあれど、さらにさらに乱れそめじの心にて、いときすぐにもてなし給へり。ことさらに見えしらがふ人もあり。大方はづかしげにもてしづめ給へるあたりなれば、うはべこそ心ばかりもてしづめたれ、心々なる世の中なりければ、色めかしげにすすみたる下の心もりて見ゆるもあるを、さまざまにをかしくもあはれにもあるかな、と、立ちても居ても、ただ常なきありさまを思ひありき給ふ。





薫は、女一の宮も、きっとこのようで、いらっしゃるのだろう。何かの機会に、これくらいでいいから、近くで、お声だけでも、聞かせていただきたい。と、しみじみ思う。

好き者の男が、禁じられた恋心を抱くのも、このような間柄で、何と言っても、親しくはなく、といって、入り込んで、自由にも出来ない場合のことだろう。私のように、偏屈な心の者は、又と世間にいるだろうか。それでさえ、矢張り、心が惹かれる女は、思い切ることが出来ないのだ。などと、思っていた。

お仕えしている女房は皆、顔も人柄も、一人として出来の悪い者はなく、無難で、それぞれに良さがある中でも、上品で、優れていると目に留まるものがいる。決して、決して迷いを生じまいとの気持ちから、とても、生真面目に振る舞っている。

わざと、気を引いてみせる女もいる。一体に、気後れするほど取り澄ましていらっしゃるところなので、上辺は合わせて取り澄ましても、人の心は、様々な世の中ゆえに、色っぽい元々の性分が、ちらちら見えるのも、それぞれに、面白くもあり、驚きもする。と、何をするにつけても、ただ、無常の世の有様を、見せつけられる思いがするのである。