日々の言い分273

生きているということは、実に、矛盾することである。


例えば・・・

健康に悪い。

生きていることが、一番、健康に悪いのである。


面白いのは、健康を維持するためにと、様々な、サプリメントが売られ、更に、これを食べれば、あれを食べればと、それを追うと、大変な量になる。


実に、呆れている。


体の中に、取り込むことしか、案内しないのである。

いかに、体から、抜くかが、実は、問題なのである。


私は、一日、水を二リットル程、飲む。

だが、その水をどのように、体から、抜くかが、問題である。


溜まれば、それは汚水となる。

体の七割は、水である。

しかし、その水も、流れを良くしないと、体の汚れを持ったまま、体に停滞することになる。


毎日、細胞が死ぬ。

それを、どうやって、体から、排出するか、が問題なのである。


ところが・・・

人々は、何せ、サプリメントから、食べ物に至るまで、取り過ぎる。そして、病になる。


当然、病むだろう。


栄養というが、栄養も、毒である。


薬が毒だというが、食べ物も、毒になる。

更に、今流行りの食べ物には、添加物が大量に入る。


無添加で、食べ物は、売られないのである。

腐る。

だから、無添加でも、別な名称で、日持ち良くする。


企業には、頭の良い人たちが、そういう、へんてこな、ことを考える人たちがいる。

要するに、騙しである。


多くの人は、品物も後ろの文面を読んで、それを解釈することが出来ない。だから、騙すことが出来る。


勿論、私も良く解らない。

しかし、注意してみると、へんてこな、物が含まれている。

その物に関して、知らなくても、想像が出来る。


さて、生きていることが、健康に一番悪いのであるから、死ぬことである。

そして、死ぬことが、人間の救いになる。


ただし、人間は、確実に死ぬから、急ぐことはない。

急ぐことはないが、その時期が近づいたら、死ぬ準備をすることである。


日本の中世を見れば、死期の知らせを受けた人たちは、進んで、自死した。


例えば、西行などは、歌詠みした通りに、死んだ。


願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃


桜の花の下で、死ぬ。

誠に、風情のある、死に方である。


こうして、死ぬことが出来るのである。


だから、矛盾した人生も、日本人は、風情の中で、死ぬことが出来た。


そして、辞世の句も、皆々、詠んだのである。


ドロボーから、遊女まで、辞世の句を詠むという、日本人である。


今は、辞世の句も、詠めない。

つまり、劣化している。


もし、辞世の句が出なければ、過去の人の、辞世の句を、そのまま使った。


現在の、学校教育では、辞世の句など、歌詠みすることが出来ない、授業をしている。


勿論、大学は、終わっている。

馬鹿、アホが大量生産される。


いやいや、考えると、劣化して当然である。

それが、時代性、時代精神である。


何も、和歌や俳句を詠む必要はない、時代である。


ただ、日本の伝統とは、歌詠みの伝統であると、言う。


31文字という、シラブルで、無限な世界を表現する。

世界にはない、伝統行為である。


俳句は、17文字。

呆れるほどに、短い。


それは、余白が多すぎるのである。

と、思うのは、西洋の思想、哲学に、染まった者たちである。


あちらは、書きつけて、更に、書きつける。

矛盾など、糞くらえと、書き綴る。


日本には、最初から、虚無を超えた考え方がある。

欧米の虚無は、ニヒリズムであり、それは、もう後が無い状態になり、精神の死をも意味する。


しかし、日本には、虚無をすでに超えて、突き抜けた精神がある。


だから、歌詠みをするのである。


人生の大きな矛盾を、日本人は、万葉の頃から、超えていたと、私は言う。


歌詠みは、教養である。

それが無くなれば、精神は、劣化する。


死ぬと、すべてが、解放される。

とは、私の精神である。