日々の言い分274

筆者が、仮想通貨のリスクを訴えると、SNSなどで、こういう反論をする方をよく見かけます。「大村という人は、ビットコインの革命的な技術革新について何も知らないのだ」「だから、仮想通貨の本当の価値を見出していないのだ」と。なるほど、ビットコインなどの仮想通貨は非常に高い技術でつくられていると。とりあえず、そういう事にしておきましょう。

が、冷静に考えてほしいのは、その高い技術の恩恵に浴している人がいますか? ということです。通貨にとってもっとも大事なのは、「安全」です。安心して、保管し、使用できるものでなければ、通貨は信用されませんし、通貨としての存在価値はありません。その安全面において、仮想通貨というのは信用できませんよね? この短い期間でかなりヤバい事件が起きています。

どれほど高い技術を持っているか知りませんが、それは実際には役に立っていないのです。少なくとも、通常の銀行の電子取引に比べればはるかに危険が大きいわけです。銀行の電子取引は、仮想通貨よりもはるかに多くの取引があり、仮想通貨よりもはるかに莫大な金額が毎日毎日動いているわけです。しかし、仮想通貨のような大きな資金流出事件などはこれまで起きていません。つまりは、仮想通貨の技術というのは、もしかしたら部分的、専門的には高いものがあるかもしれませんが実用面においては、まったく高いとは言えず、むしろ不安定で危険なものなのです。

でも、仮想通貨信仰者の方々は、

「仮想通貨はすごく高い技術を持っている」
「その技術は資産としての価値があるのだ」
「だから、仮想通貨は今後、発展していく」

と信じています。なぜ、そう信じているかというと、そもそも仮想通貨が、そういう喧伝をしてきたからです。各仮想通貨は、創設時から今に至るまで、さんざんやかましく

「仮想通貨はすごく高い技術を持っている」
「その技術は資産としての価値があるのだ」
「だから、仮想通貨は今後、発展していく」

と宣伝してきました。仮想通貨信仰者の方々は、その宣伝をまともに信じ込んでしまっているわけです。

しかし、冷静に考えてください。銀行が電子取引をすることも実は非常に高い技術が必要です。世界中の銀行をネットでつなぎ、瞬時に取引をするわけです。また世界中の悪い奴らが、アタックしてくるわけですから、その防御にも大変な技術が必要なわけです。

が、銀行が電子取引をはじめて20年近くたちます。が、先ほど言いましたように、まだ仮想通貨のような、大掛かりな資金流出事故のようなことは起きていません。それでも、銀行は自分たちの技術をそれほど誇示することはありません。なのに、なぜ仮想通貨はことさら「技術力」を誇示するのでしょうか? そこに仮想通貨の大きな弱点があるのです。

仮想通貨が、実体のない通貨だということは、これまでこのメルマガで何度か言及してきました。仮想通貨は、貴金属との兌換を保証しているわけでもなく、発行元が巨額の資産を持っていていざというときに、価値の保証をするようなものでもありません。また、普通の通貨のように、国がその価値に責任を持っているわけでもありません。まったく架空に作られた通貨であり何の価値の裏付けもないのです。

その架空の通貨を、流通させるためには、多くの人に、「この通貨は価値があると信じ込ませなければなりません。そのために、やたらと、「仮想通貨というものは、すごい技術で作られた未来の通貨なのです」と喧伝してきたわけです。つまり、技術の高さをここまで誇示するということ自体が、信用のなさの裏返しということなのです。


私は、最初から、一番被害を受けるのは、日本人だと言ってきた。

矢張り、その通りである。


おおよそ、300人に、一人が、億り人になっているが・・・


更に、値下がりしても、まだ、上がると信じているのは、日本人だけである。その証拠に、値下がりしても、更に下がらないのは、日本人が、保有しているからである。


つまり、値上がりを信じているのである。


損をしている人が、実は、多いのは、単純に、30人が億り人になると、9千人が、損をする。

もっと、簡単に言うと、9千人の人の、金を得ているといえる。


宝くじ・・・のようなもの・・・


迷惑メールに、ビットコインを推奨するものが、多数。

そして、更には、コインを差し上げるというものも。


実に、呆れる。


不労所得と言う言葉に、騙されて・・・


そんなに仕事をせずに、金を得たいのか・・・


投資は、立派な金儲けの方法ではあるが。

そして、それで、多くの利益を得た人は、たぶんに、寄付をしていることを、知らないらしい。


お金を本当に得る人は、ある一つの主義がある。

それは、得た金を、他人のために、公共のために、使うという精神である。


何故か・・・

それは、一人の人間が、贅沢をしても、限りがあるということを、知っているからである。


勿論、例外は、多々ある。

しかし、その死後、結局、国のものになるという人も、多いのである。


遺産を継ぐ人が、いないのである。

だから、生きている価値を、ただ、金を得るために、生きているという人である。


それも、一つの生き方である。


贅沢をしたい、遊びながら、人生を送りたい・・・

色々あるが、実は、皆、それは、幻想なのである。

妄想とも、言える。


人生に、確実なことは、死ぬこと以外にはないのである。


その、死ぬ、ということを了承すると、人生が、幻想、妄想であると、解る。

そして、それは、日本の精神でもある。


この世は、虚であることは、万葉の時代から、知っていた、日本人である。


兎に角、金に目の色を変える人は、ある意味では、不幸な人である。

勿論、生きるに、必要な金は、必要であることは、言うまでもない。

その、限度を、自分で決めることが出来る人を、生きる達人という。